悪魔と狐の物語

空想歴史小説ファンタジーです。人の歴史を見つめ続けた神狐と大悪魔の物語。

妹狐の物語13

その後の道中は、比較的だが平穏であった。

山賤どもが何度か姿を見せたが、それらは全て撃退された。

と言っても、血を見るまでに肉薄して来た山賊たちは居なかったのだけど。

 

最近では、稲目様が私を見る目線には、明らかに普通の人間を見る以外の目線が混じっている様だ。

山梔子の香りを発する、日焼けする事を知らない幼女。単に不思議な何かだけではない、そんな存在。しかし、稲目様は、私達に何も言わなかった。

ただただ、私が甘えるのに応えてくれた。ただただ、私達家族を大事にしてくれた。

 

多分、そうであってほしいと私は思っているのだが、仏教が本来の仏教ではなく、現在まで続く様な殺生を好まず、ただただ穏やかに生きる事を説く宗教となった理由。

ある意味衰退した精神の産物とさえ言える程に、懐古的で、それでいて現状維持的で、救済を求める人達の願いを吸い上げる形で日本に固着した理由は何か?

その伝来時期にそれを布教した人達の周辺の恐るべき闘争と、その闘争の結末、闘争の終わった後に残った人達の願い、あるいは思惑を反映しているのではないか。

そう思えてならない。

 

当時の私はそんな事を考えたりはしなかった。野山の美しい光景と、ゆっくり進んで行く旅程、もうすぐ到着するだろう播磨の国で何があるのかと言う空想。

それらを楽しむばかりだ。

大して拓けている訳でもない悪路を、私達は更に踏み分けて行く。

食糧は途中までと打って変わり、あまり余裕がなくなっている。どうしても警戒を緩められず、脚は遅くなる。荷役夫達も怯えと疲労で働きが悪くなって行く一方だ。

 

遂に、一行は現在の福崎町のあたりで足止めを食らう事となった。

数日間の強行軍の疲労に加えて、天候が悪化して雨が降り、そのせいで荷車を動かせなくなったせいだ。

一行の荷車は、当時の基準では左右の大きさもきちんと揃い、作りも悪くはなかったが、いかんせん6世紀の木造物など、出来も強度も玩具の様なものだ。

後世の幌の様な物も無く、雨を防ぐのに木の板を使っていた位だ。何をどうやっても、荷物を守ろうとしたら遮蔽物の下に隠れるしかない。

護衛も荷役夫も寒さに凍えて人心地すら付けない。その点、私達は気楽なものだった。

何しろ、私達は格好を整えているだけで、本来的に寒さを何とも思っていなかったのだから。

父は隠れて、一応道具だけは使ったふりをして火を起こした。一睨みで水の中に漬けておいた木材ですら、カラカラに乾かす力を持っている位だから。

不公平な事おびただしいが、私達にはそんな力を有効に使う事だけが頭にある。バレない様に・・・使う事だけが。

あらかじめ用意されていた鉄のお盆、その中にはおがくずや木片が一杯入れられている。燻る火をふうふうと息を吹きかけて熱く起こし、即席のかまどにくべて皆でそれを取り囲んだ。

きな粉と水飴で作った携帯食が配られ、熱い白湯を作って飲む。厳しい寒さとは言えないが、疲労を重ねた隊商の人達はほぼ限界に近付いていた。

疲れを知らない兄以外は、誰も彼もここで休まなかったら倒れていたかも知れない。

「播磨の海側まで来れば、そこからは船を待って摂津に抜けられるのだ。それまでの我慢じゃ。」稲目様はそう言って皆を励ました。

「それとじゃが、播磨の国の者どもは、普通ではなく気が荒い。何としても争いは避けよ。」これはそや達と播磨を訪れた事のない護衛達への訓示だった。

「何しろ、縄張り意識が強く、よそ者の勝手を嫌う。侮辱するような態度も見せるな。生真面目な態度で通せ。道理がわからない者達でも無いが、争いは避けよ。」そうも語った。

私はそれを耳にして、嫌な予感に襲われたものだ。