読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

妹狐の物語11

双方の先鋒が睨み合う中、姉は近くの山の上を走る人影を見つけた。

「あそこです。」そう指差す先に、数名の武器を持った山賊がこちらを覗っているのが見えた。稲目様は露骨に顔をしかめて、後ろの列に警戒する様に促した。

 

「儂も後ろに加勢する。」父はそう言って、手槍を掴んだ。

稲目様は、それを見て眉を動かしたが、役に立ちそうもない怯えた荷役夫が中段に固まってしまっており、それらの近くを離れられない。

相手が呼びかけて来た時に対応する為にも、稲目様は中段を離れてはいけないのだ。

隊商の護衛達は、父の作った立派な武器で武装しているし、桂甲を装着している。

訓練もきちんと受けている。余程の人数でなければ、遅れは取らない。

稲目様は、状況を把握しようとしていた。相手の加勢はどの程度になるのか。少なくとも、後段に向かう数名は確認している。

どれ程の人数が埋伏しているのか。稲目様は迷っていた。

「前の列、盗人どもを蹴散らせ!」遂に稲目様は決断した。

まずは兄が弓を持った盗賊をその小さな弓で撃った。狙いは違わず、盗賊の肩に矢が突き刺さる。悲鳴と人血を垂れ流して、盗賊は弓を手放した。

慌てた盗賊は、弓をまずは射始めた。しかし、この当時の弱い弓で、俊敏極まりない兄を射止めることなど人間には不可能だ。

護衛達は、変わらず荷車の盾の後ろに隠れている。その陰から弓を射られて、更に二人の射手が倒れる。こちらはものの見事に脚と腹に命中しており、到底戦闘可能とは思えない。

その時に肩に矢を受けた者が口走っている言葉が日本語ではない事に気が付いた。

「あれは唐人ではありませんか?」稲目様に私がそう告げると、「どの国の者であろうと、盗人は盗人じゃ。潰えさせておけば、付近の者達のためにもなる。」とだけ返事をしてきた。

突然、前列と対峙していた盗賊が踵を返して、出て来た間道に姿を消した。負傷者はそのまま置き去りにされた。

後段に現れた盗賊達も、間道から降りて来たところを、弓で射られて負傷者を出し、すぐに撤退した。

それからの事は、私達は全部聞いていたけど、聞こえないふりをしていた。

倒れた盗賊の内、脚を射られた盗賊は日本語を話していた。刃物をかざされて、彼は洗いざらいを白状させられる。

盗賊の人数は、何と30人以上に及ぶ事、近くにそれらは伏せている事。

近くの集落で、私達の隊商の事を聞いて、その荷物を狙っていた事。何よりも私を不安にさせたのは、隊商に美しい娘と女がいると盗賊が耳にしている事だった。

つまり、姉と母も盗賊の標的になっているのだ。それを聞いて、稲目様がカンカンに怒り、護衛に命じて盗賊の親指を切り落とさせてしまったのにも参った。

 

ここは道細い山中で、次の集落まで急いでも一晩は夜明かしはしなければならない。

次の集落だって、正直そこが盗賊と結託した集落でないと言う保証はないのだ。

盗賊達には多分土地勘がある者が多数入っている。下手をすると夜討ちがあるだろうし、それを警戒するとなると、おちおち眠っても居られない。

今晩か明日になる戦いは、体力的にこちらの不利になるのは間違いないところだ。

相手は好きな時に攻撃できる。なんなら攻撃しないでも良いのだ。

それからの私達は、夜に備えて多めの枯れ枝を集めて、乾いた枯れ木を切り倒して焚き木を空の荷車に積んだ。その後に多少の広場でも良いので、迎撃できる場所を求めて動いた。

ここ数日は雨も降っていなかったが、まだまだ雪解けが終わってすぐでもあり、付近に落ちている枝の多くは湿っていた。

山中の道は、すぐに暗くなって行く。あまり大きな場所ではなかったが、野営地も日暮れの後すぐに見つかった。

「この広場、盗賊がわざと作った広場ではないか?一度姿を見せて、その上でここに追い込む算段なのではないか?」古強者がそう独り言ちていたが、私にもそう思えた。

集落から程遠いのに、盗賊が出没するのに、ここらの焚き木はあらかた拾われていたからだ。

母と姉、私は、焚火を使ってあらかじめ夜食を作って、朝にも兵隊達に振る舞える様に準備していた。

不寝番の兵隊は姉と私から雉の肉が入った雑炊を貰って、大喜びでそれを掻き込んでいた。「安心せい。儂等はお前達を護ってみせるわ。」と椀を受け取りながら、私の頭を乱暴に撫でてくれた。「命にかえてもな。」と続けられると、私は思わず涙ぐんだ。

「怖がらせて悪かったな。じゃが、本当にそうなのじゃ。安心してくれ。」と言って彼は微笑んだ。不器用だが良い笑顔だった。

出雲の男たちは、体格も大きく、強く、優しい。多少粗野であっても、下品ではないのが、私には好ましく思えた。豊かな国に生まれて、その国と隣人を護る事に疑問を感じない。そんな価値観を疑わない人が揃っていた。この時代の出雲はそれ程の繁栄の下にあったのだ。繁栄している土地の民は、特段に剽悍ではなくても勇猛で力強い。

尚武と言う後の伝統を持たない古代であっても、きちんと武人は居たのだ。

そして、何よりこの時代の男達は女子供にとても優しい事を恥じる気風を持たなかった。

兄の射落とした雉や山鳩の入った雑炊、それは今晩にも命を失うかも知れない護衛達への精一杯の私達からの誠意でもあった。姉と母は流石なもので、薬効以外にも、鳥の肉を美味しくする野草、強壮効果のある野草を鍋に入れて、昆布の出汁と共に雑穀と煮ていた。

私は、そんな姉の凄腕を真似る決意を固めた。この旅が終わってからは、私は姉の弟子となって野山を駆け巡る事になる。

 

枯れ木を再び野営地に積み上げた後は、荷車は盾となって、今度は横に立てかけられた。車輪は野営地の内側に向けられており、荷物を載せる板が外側を向く。そして、そこには多少の乾きの悪い枝が残されている。

まだまだ肌寒いこの頃、盗賊は夜半に仕掛けて来た。素人故の我慢の欠如で到底、セオリーのとおりに深夜3時とかには仕掛けて来れなかったのだ。

時刻はおそらく、夜の11時頃。この時期の山中の夕暮れからおおよそ6時間と言う頃だった。

板とござを背中に敷いたままで、桂甲を着込んだまま休息していた護衛達はすぐさまに立ち上がった。警告を発したのは、不寝番の更に外側で待ち受けていた兄だった。

道の左右から、それぞれ10人程がやって来た。

「何者か!」と言う誰何の声に対して、盗賊達は「荷物を改めさせろ。取る物に不足が無ければそのまま退く」と呼び掛けた。

奇襲などこの時点で成立しない。ただ、隊商は既に逃げられる状態にはない。

戦って勝つか、敗れて思うままになるか、その二択しかない。

「後、女達は寄越せ。所詮下人であろう。」との声が掛かる。

稲目様は、私のそばに寄って、頭を撫でると、護衛達に命じた。

「こ奴等を潰せ!蘇我稲目の面目を失わせようとする輩に容赦するな!」と怒鳴った。

 

夜の中でも、兄の弓は百発百中だった。右腕に矢を受けた盗賊は、弓を取り落として転げまわる。

そこにそや達が弓を射掛ける。暗い道への射撃は狙撃の命中が期待できないが、宿営地の入り口付近の篝火が健在ならば、その光の中に踊り込んで来た接近戦部隊は話が別だ。それらは次々と射止められる。

暗い闇の中に潜む兄と篝火に照らされた的を狙う数名の弓兵達は、次々と盗賊を仕留める。兄は射手の腕だけを狙っていた。

そやは、不敵にも単独で槍を持って暗がりの中に踊り込んで行く。そして、出会った敵を無造作に刺し殺して行く。味方と間違える心配はない。

同士討ちを畏れる古強者から怒鳴り声で制止されるが、それは聞こえない様だ。便利な耳である。

私も興奮して、近くの大きな石を幾つか掴んで、そやの方に向かって走る。

それが更に怒鳴り声を誘発したが、それは無視した。篝火の灯りの中から、暗がりの中の盗賊に向かって、私は疾走しながら正確に石礫を投げつけて命中させる。

一人の盗賊は、前歯を石で潰されてしゃがみこんだところを、そやに槍で突き殺された。その盗賊は、そやにまずは顔面、次に頸動脈を続けて槍で突かれて、大声をあげて苦しみながら死んで行った。もう一人は鉾を礫の衝撃で取り落とし、やはりそやに突き殺された。

それでそやに向かう盗賊達は怯んだ。弓を持った者達はほとんどが早々に狙われて倒れ、残りは怯えて後ろに下がった。

武器を持った者達は皆が桂甲を着込んでいない。しばらく盗賊達は進退について大声で揉めた上に、そやに更に仲間を殺されて、戦意を喪失して逃げ去った。

皆はそれで雄叫びをあげて勝利を宣言した。

 

流れ矢と狙撃で荷役夫が2人程死んでいたが、それ以外は損害はなかった。

荷役夫も、言われたとおりに荷車の陰でじっとしていれば助かったのだが、荷車の板を貫通した矢でパニックに陥り、闇雲に広場に逃げ出したところを射殺されていた。

また、私の知らないところで、知らない事も起きていた。

稲目様を狙った矢を、近くに控えていた父が、無造作に槍で何本か払い除けていたらしい。稲目様は、驚いて父の仕業を褒め称えながらも納得がいかない様子だ。

当然だろう。篝火と焚火のほの暗い光の中で、暗い方から飛んで来る早い小さな物を見分けて叩くなど、普通は無理難題なのだから。

日頃から無口な父は、「私は日頃から、薄暗い鍛冶場に籠っております故。普通の者よりも夜目は利くのです。」とだけ答えていた。全然返事になってなかったとは思うが・・・・。

 

後に残ったのは、盗賊の死体が6つ、生きているが動けない盗賊が1人、捨てられた弓が7張、雑な作りだが殺傷力はあるだろう大きな鉾が2振。

死体は路肩に投げ出され、お決まりの尋問と言うか拷問の後、出身地その他を聞き出されてから、盗賊は首から喉を切り裂かれて死体の仲間入りをする。

荷役夫の亡骸は、慰霊と鎮魂の祝詞を唱えた後、茣蓙を掛けて空の荷車に積んだ。次の集落の者に頼んで埋葬して貰うのだそうだ。

しかし、後から考えてみると、仏教を日本に導き入れた稲目様が、戦死者に対して神道風の祝詞を唱えていた訳で。当のご本人からして、仏教の何たるかを当時はご存知無かったのだと思う。(晩年でもご存じだったかどうか。何しろ、百済経由で入って来た異国の神々の宗教なのだから。彼はその教義の概要すら知らなかっただろう。)

護衛の内、きちんと桂甲を着ていたにも関わらず、弓矢で射られて負傷している者が居た。立ち上がって弓を射ていた兵隊であったが、姉は正座して、兵隊の頭を自分の膝の上に据えてから、その矢傷を小さな刃物で切り開いて矢を抜いた。

取り出した血だらけの矢を長い舌で舐めてから「鏃に毒が塗ってあります。」と小さく告げて、「動かないで。」と膝の上に頭を置いた兵隊に命じた。

姉の神秘的な力で傷の痛みは抑えられている。その上に、香しい匂いのする姉の手が額に当てられて、柔らかい太腿と膝で頭を支えられて、ぞくぞくするほど美しい顔が間近にある。彼女の命令に逆らえる男がこの世界の何処かに居るのだろうか?

姉は傍らの愛用の背負子から、治療のための道具を取り出した。父の作った小さな鈎針を使い、傷口を絹の糸で縫い付けた後に、更に練った薬を張り込んで麻の布で覆った。

その間も、姉はずっと神秘の力を使い続けていた。血液の中の毒素は逆流して、麻布の表面を黒く汚した。もう十分だと見て取った姉は、布を交換した。次に兵隊を座らせ、吊り布をしてから兵隊を立ち上がらせた。

汚れた麻布は、焚火にくべて燃やした。

兵隊は立ち上がるやいなや、驚きの声をあげた。「おい、もう腕が動くぞ!」と言った途端に、姉と古強者から、異口同音に「まだ動かすな。」「まだ動かしてはなりませぬ。」とたしなめられて、赤面して謝った。

 

そんな光景を眺めている間に、古強者から怒鳴り上げられていたそやが、ようやく解放されて私の近くにやって来た。

「さえは元気じゃの。あんな風に石を投げて盗人を倒すとは、本当に驚いた子じゃ。」そう言って、彼は私を抱き上げた。

「だって、何もしないでじっとしてるなんて。無理。」とだけ言うと。

「童女の癖に、血の気が多過ぎるぞ。お前、大人の女になったらどうなるのじゃ?」と本気で心配する顔をされてしまった。

「血の気が多くて悪かったわね。」と横を向いてプンプン怒っていると、稲目様がやって来て「さえのおかげで、そやは大助かりじゃったな。けど、もう危ない事はするな。わかったな?」と言って頭を撫でてくれた。

「はい、稲目様の言い付けでしたら。」と素直に応じると、そやが大笑いしながら「姉上の真似をして、薬師をめざしたらどうじゃ?ちっとはしとやかになるだろうよ。」と言ったが・・・・。

「無理よ。私じゃ手足の長さが足りないわ・・・・・。背丈も・・・・。」と私が呟くと、「なるほど・・・・道理じゃな・・・・。」と応じて来た。そこは、無理してでもフォローすべきじゃないのかと思うが、当時の男のデリカシーなんかこれでも上等な方だ。

そこに、話にも加わらずに悄然と立ちすくんでいた兄が見えた。手には、大事な時に力み過ぎて壊してしまった弓があり、それを残念そうにじっと見つめている。無念の顔で眺めている。

この時、兄は父の仕事を手伝うつもりになったのだ。自分で武器を作ると決意したのだ。

そんな私達を尻目に、母は鍋に湯を沸かして、干した穀物と雑穀を出汁に振り入れ、薬草を混ぜて起きて来た兵隊に振る舞った。私達もご相伴に預かった。

 食べ終わった後に、私は兄と共に、荷車の陰で茣蓙に包まって一寝入りしたのだ。