悪魔と狐の物語

空想歴史小説ファンタジーです。人の歴史を見つめ続けた神狐と大悪魔の物語。

妹狐の物語21

やがて、ひでの兄達は屋敷を辞去して行った。

少し遅くはなったが、死んだ兵隊達も正式に慰霊が行われるのだろう。ひでも同様に。

それとすれ違う様に、多少遅くなったけど、弥栄の一門が稲目様を訪ねて来た。

昨日よりも更に多くの人数で、贈り物も荷車二台分を越えている。小者達が手に手に贈り物を携えている。

ちなみに、稲目様は、この贈り物を全て大和に持ち帰り、その上で明石国では大歓迎を受けたと皆に触れて回ったのだ。

 

弥栄の家は、この後の時代、更に西の広島方向や、北の丹後に分家して、更に様々な場所に定着し始める。その先々で土着の名前に変わりはしたが。

ともかくも、弥栄とは、「国を栄えさせる」と言う祝福を含んだ意味だったので、どの土地でも歓迎されたのだ。代々の家中の教育も優れていたと言える。行く先々で、開拓に業績を残した。それでいて、現地の支配者や有力者を気取りはしなかったのだ。

弥栄氏の住んだ土地としての名前では、明石の隣の須磨に弥栄台と言う地名が残っている。ここは、今でこそ明石市には含まれていないが、この時代からすぐ後に、針間国と明石国が合併して、播磨国になった際には、ちゃんと播磨の一部であったのだ。

弥栄は、八坂とも呼ばれていたが、八坂神社との関連は私にはわからない。

ただ、今も昔も八坂神社の祭神は、稲目様の大先祖である素戔嗚尊である。

これは、全国の八坂神社も同じ事で、素戔嗚尊が牛頭天王と同一視されており、牛頭天王が祇園精舎の護り手であるからとも言われている。(八坂神社は京都市内の祇園と言う場所にある。)

現在の八坂神社の祭神は、播磨国の一部、現在の姫路市内の廣峯山から分祀された御霊を祇園に移したのだと言う。

私は考古学者ではない。単なる目撃者でしかない。だから、これ以上は何も言う筋にはないと思う。

心の中で思う事は、稲目様の配慮に対する感謝。それが後々まで残った結果が、この八坂神社と弥栄氏の子孫の繁栄だったのではないかと言う事だ。

それらを取り壊す事は、後々の権力者たちにも不可能であった。人間達よ、貴方達は知らないでしょう?誰かの善行が切っ掛けとなって、こうして幾世紀にもわたって報恩の輪廻が回り続ける事を。

 

ともあれ、そんな運命の分かれ目であった訪問は、始終駘蕩とした雰囲気で終わり、稲目様の評価は弥栄氏の中でうなぎ上りと言うか、ほとんど心酔して帰った様な風ですらあった。

またしても、稲目様は仏法のありがたさと、その功徳について語っていた。

皆畏まるばかりで、あんまり稲目様の言ってる事わかってなかったのかも。却って、ひでの兄はそうではない感じだった。本当に今で言うところの理知的な人だった。何故あんな弟が生まれて来たのやら・・・・。

長く繰り返し、稲目様は仏法の大切さ、尊さを力説していた。皆、それぞれに思う所はあったようで、八坂の貴人はそのありがたい教えについて、何かの書物や偶像を貰えるかと聞いて来た。

稲目様も流石にこの時点では経典とかは持ち合わせていない。仏像も、本来大和に運ぶべき物しか仕入れていない。

だから、木箱を開けて仏像を見せてあげたのだ。

 

大和に着いてから、私はその現物を見た。ああ、そう言えば、壊れた仏像は既に見ていたっけ。私はそれを見て思ったものだ。キンキラで悪趣味な姿だなと。

金の糸を縫い込んだ服は美しいと思うし、冠は金色でも良いと思う。けど、例えば本当に金色に輝く人とかを見て、貴方はどう思うのだろう?

私は、そう言うのを想像すると好きになれない。あれは太陽を象徴する仏様なのだと、後々の大仏様とかを青銅で作ってみたりもしたらしいが、それも美しい黄色は数代で色褪せて、例の青い姿になり果てているし。

でもまあ、木彫りの仏像や仁王の顔も形も私は好きだ。表情や姿勢が静謐さや躍動に満ちていて、訴えて来るものがある。それで充分なのだから、金色にしないで欲しいのだけど・・・・。

そもそも、私に取っては、太陽崇拝はアマテル本人とアマテルの巫女以外は偽物だとしか思えないのだ。

彼等は基本白衣と黒の掛物で、巫女の袴は赤色であり、金色とかはどこにも入るとは思えなかった。ましてや、身体の全てを金色にするとかはありえない。

個人的には、金の糸が入った衣など願い下げな訳でもあるし。 

 

趣味悪い・・・と思うのは、基本獣であり、貧乏が身に染み付き、物に興味を示さない、ある意味老人よりも偏屈で、実際には老人よりも歳を重ねて来た子供なりの感想だったのかも知れない。

なにしろ、それを見せられた者達は、一様に感心して、美しいとか、ありがたいとか言ってたのだから。

金箔ではあっても、やはり黄金は黄金、押し出しが強いと言うのは確かだ。光り輝く人と聞いて思い浮かべるのは・・・・。

ああ、そうか。私は違う誰かの事を思い浮かべていたのだ。アマテル以前の太陽神、猿田彦の事を・・・・。

今では、記紀には少ししか書き留められていない猿田彦だけど、当時の伝承では「多くの悪しき神」を退治した英雄神の一人だったのだ。

素戔嗚尊を、今の人達が想像するのと良く似ている。稲目様の先祖は、当時は英雄神や災厄の神では無かったのだけど。

そうなってしまうのは、後の事。その事に今は触れない。一言で言って、それはまさに自業自得の結果なのだ。

 

ともかくも、仏像は明石国の人達には大うけだった。

意地の悪い考え方だけど、貴方達は同じ大きさの純金の仏像があったとして、それを単に拝むだけで満足するのかと聞きたい。

鋳つぶして、金塊に換えちゃうでしょうとね。

これが私が最初に見知った仏教の難点だ。仏を崇めるのが、富や権力を崇めるのと同じ文脈だとすると、それは卑しさにも通じてしまうのだ。

実際、寺社は後年になるに連れて権力を増して行く。武力も備えて行く。専売の元締めともなり、各種の融通を金で売る事まで仕出かして行く。

それらは、1000年後付近を一つの頂点として、その後は弾圧されてしまうのだが。

私の危惧や嫌な予感は、つまりそれ程的外れでもなかったと言う事なのだろう。

その残滓は現在までずっと残留している。それもこれも・・・言ってみれば、衆生の支持あっての事だ。悪い事ばかりでもなかったのは、私ももちろんわかっているのだけど。

 

ただ、金色に輝く姿と言うのについては、私は随分後で実際には美しいものだとは理解できた。

しかし、その金色に輝く姿と言うのが、誰の姿かと言うのは、この時点での私には予想もできていなかったのだが。