悪魔と狐の物語

空想歴史小説ファンタジーです。人の歴史を見つめ続けた神狐と大悪魔の物語。

妹狐の物語19

舟の上から見ると、戦死した兵隊達の周囲で、沢山の兵隊達がしゃがみ込んで泣いていた。

本当に殺され損としか言えない、哀れな死に方だった。

何故、ここまで悲しい事になったのか。父と稲目様のお話、父からの説明があった後も、私には良くわかっていなかった。

理解できたのは、随分後だった。多分、何百年生きていても、子供には理解できない類のお話だったのかも知れない。

 

みよしは、こちらの方を何度も窺っているが、積極的に話し掛けては来ない。

今後の明石国での説明について心悩ませ、稲目様のご機嫌をどうするのか。少なくとも、今より悪化させない方法は無いものかと考えているのだろう。

見るに見かねたのか、稲目様の方からみよしに対して近付いて来た。

「みよしよ、此度の事、汝が思い悩む必要は無い。あ奴はみっともなく命を失った。巻き添えで兵達も死んだ。しかし、わしはこの事を大事にするつもりはないのじゃ。」

「お命を危なくした上に、私の様な下々に対しての優しい御心遣いまで。なんと申し上げるべきなのかもわかりません。哀れな兵達、あれは私の集落の者達でした。あの者達も、過ちで明石が滅ぼされる様な事にならなかったと知れば、それだけは慰めとなる事でしょう。」彼は安堵と感謝で涙を流していた。

河口まではすぐだった。その後にまたまた大きな帆を持った船に荷を積み替える。

今度の船は、すぐに難波や摂津に私達を運んでくれるのだと思っていた。実は違っていたのだが。

 

この当時より少し前(300年位かな?)までは、現在の大阪湾までの船程は今とは大きく違っていたそうだ。

そこには、大きな砂州があって、大阪湾その他の外側は、巨大な半内海状態だったのだそうだ。

今では、それらは段々と壊れて来ている。しかし、沿岸を進むのは危険と言う事で、一旦淡路島まで出て、そこから東に進む航路が一般的だったのだ。(砂州の真ん中の方には大きな亀裂に見える水道が入っており、それらは順次急速に拡大中だった。)

海流は、それらの砂州の残骸を、極自然に浚渫してしまい、平安時代には既に東西の海岸は何の危険も無く通行できる様になっていた。

私の知る限り、海岸でここまで大きく地形が変わったのは、この海が唯一の例だ。

まるで、以前は何かがここを封印していた様にすら思える程に、この地は大きく変わったのだ。

そんな訳で、一旦船は明石国に立ち寄る事となった。そもそも、食糧が全く足りないのだ。補給をしないと、途中で皆行き倒れてしまう。

 

明石の港に着くと、みよしは一行にここで待っていて欲しいと言い、自分は駅で馬を借りて連絡に向かった。

あらかじめ予定していた事もあり、近くの集落の使いが待っていた。迎賓館みたいな役目の良く手入れされた屋敷があり、そこが宿泊所となると告げられた。

今回は、荷役に手慣れた者達が、これもちゃんとした荷車に荷物を載せて屋敷まで運んでくれた。

ちょっとした高台にある屋敷までの荷運びだったので、多分疲労している隊商の者達にはきつかったと思う。

けれど、明石の人達は良く働いてくれた。仕事が終わった後、丁寧な挨拶をして、荷役を行った人達は去って行った。稲目様も、普段のとおりに彼等に挨拶をして、苦労をねぎらった。

ずっと思い悩んでいたのが嘘のように見えた。そう見えただけだったのだが。

 

夕暮れ時、東西に長い海岸線の明るい土地では、先日まで通っていた山中と違い、遅く日暮れが来る。美しい夕日を土間で眺めていると、その人達はやって来た。

明石の国の領主である弥栄氏の一門らしき者と、共の者を数名先導して、みよしが馬を駆って来る。武装は誰もしていない。

当時は、まだ馬具の内、鐙は発明されていない。まだまだ発展途上の鞍と雑な手綱だけだから、馬を駆る事ができる者は極少ない。しかも、まだ春なので、馬は比較的に凶暴な状態が続いている。

牡馬ならば雌と引き離されると、常に不満なのだ。(まあ、日本人は結局方法を知っていても、牛馬の去勢とかは明治になるまでやらなかったんだけど。)

余程急いで来たのだろう。二人とも埃まみれだ。綺麗な冠まで埃を被り、多少位置がずれている。

稲目様は庭に出ていたが、垣根越しに見える土埃を見て、急ぎの者が来たとは悟っていた。

予想のとおり、みよしが連れて来たのは、弥栄の家の跡継ぎだった。型の通りに謝罪が行われ、賠償についても話し合われた様だ。そこらは私にはわからない。

父と共に、私も荷車の修理を手伝っていたからだ。水と泥と荷物の重量で、荷車の修理は困難を極めていた。そして夜が来た。

 

大きな声も聞こえず、一時間程も話し合いはなされていた様だ。

やがて、みよしと弥栄の人達は明日の朝に訪問すると言って、そのまま帰って行った。

まだ虫の音も聞こえない春半ばの夜。星空を見つめていると、屋敷から稲目様が出て来るのが見えた。護衛の一人が近くにいるのも感じた。

まだ暖かいとは言えない季節だ。土間に座り、稲目様は何かを考えていた。しかし、そこに近付こうとは思えなかった。そんな雰囲気だったから。

私は直観した。稲目様はまだ悩んでいるのだと。

ひでは死んだ。それなのに、何故まだ悩むのだろう?

そんな事を考えても、当時の私には何が何だかわかってはいなかった。

稲目様の悩みの原因については、大和の国に行ってから明白に知る事になるのだが・・・・。この時は何も知らなかったのだ。

 

そして、夜は更けて、次の日がやって来た。私は、稲目様が夜遅くまでずっと考え事をしていたのを見ていた。