悪魔と狐の物語

空想歴史小説ファンタジーです。人の歴史を見つめ続けた神狐と大悪魔の物語。

妹狐の物語17

夜が明けた。

その夜明け前の深夜に、殺しも殺したりと言う程に、私達の一行は明石国の兵隊を殺してしまった。

彼等が賊ではなかったと理解できたが、だからと言って、殺してしまった相手側の者達も、死んだこちら側の護衛も生き返らない。

死んだ者は去ってしまい、二度と返らないのだ。

 

さて、この大事が、単なる根性曲がりのにわか隊長がやらかした事であり、別に播磨や明石の指導者達が企んだことではないと言う事だ。

そうとわかっていても、これからどうするのだろうか。明石の兵隊はまだ65人残っている。

こちらは矢をかなり消耗している。後2回同様の勝利を収められるか?一つの軍隊にまとまった65人は、もはや夜襲ではなく、真っ向勝負を選ぶのではなかろうか?

しかし、相手も馬鹿ではない。いや、馬鹿な事をしでかした根性曲がりは、目下のところ生存しているが、明日をも知れない重体であり、兵隊達の指揮者が不在なのだろう。

 

夜が明けて、兄は斥候を買って出た。

流石に、生存者の報告で狭い場所を大勢で通り抜ける愚かさは知れ渡っている。

何者とも知れない、凄腕の「賊」と思しき者達は、飲料水の近くを離れていない。

だから、兵隊達は自発的に3組の分かれていた。

二つの林道を守る隊と、どちらかが襲撃を受けたら加勢に行く隊と。この当時の戦術とかを考えてみると、立派に考えた部類なのではないだろうか?

見たままの配置を知らせると、稲目様も護衛隊長も同様の判断を下した。

 

稲目様は、捕虜の兵隊を呼んで、明石国の兵隊数名をこちらに呼び込んで、まずは負傷者の収容をさせようと考えた。

「お前は明石国の兵隊達に事情をちゃんと伝えられるな?」捕虜を呼んで、稲目様はそう念を押した。

「はい・・・・。」

「では行け。」

「わかりました・・・・。」捕虜は悄然と林を抜けて行った。

 

その後は、明石国の兵士が二人一組で何度かやって来て、その都度負傷者を収容して行った。一回に常に二人しか来ない。紛争の再開を畏れているからだ。

そして、ひでを収容しようとする者は居なかった。

 

誰もが、私達ですら、今回の所業を恐ろしいと思っていた。

明石国の兵士としては、責任の限度を超えているし、想像の限度も超えていたのだろう。こんな恐ろしい事は普通は起こらないものだから。

そして、昼過ぎになって、ようやく事態を解決できる者が現れた。

川縁に大きな舟がやって来て、その舟を先導して来たのが、みよしであったからだ。

大騒ぎとなっていた明石国の兵隊達は、みよしが全て掌握し、何を置いても稲目様に対して逆心がない事を証明せねばならなかったと彼は考えたのだ。

本当に、可哀想としか言えない・・・・。

 

「おとうさま・・・。」私は父の袖を引いた。

「どうした。」父は怪訝そうに私を見た。「お前も稲目様と同じく、私の言った事に引っ掛かる何かがあるのだろう?」

そう言って、私を抱きしめる父は、とても遠くに住む、何か別の世界の人みたいだった。何故なら、父は考えに没頭していて、目が遠くを見ていたからかも知れない。

頷いた私を、父は頭を撫でながら言った。

「勝てないと諦めてしまうと、人はどうすると思う?」父はそう私に問い掛けた。

「諦めたら?」私は首を傾げた。兄と姉も、話を横から聞いている。

「そうだ。」父はそう続けたが、私には良くわからなかった。

そう、私は人間を敵手と見る事ができない。時に単なる障害物、時々腹の立つ物分かり悪い生物。とっても慕わしい人達も多い。

私が、私達が勝てない相手?それはどんな人達なのだろう?

「良くわからないよ・・・・。勝てない相手ってどんなものなの?」

「勝てない相手とは、”我々”に取っては、勝ってはならない相手なのだ。」父はそう言った。

私は父をマジマジと見つめた。父も母も、聞かない事は決して話さない”人”なのだ。

「そんな人と、おとうさまは出会ったの?」

「お前も出会っているのだよ、既にな・・・・。」

父は抱き上げた私を、腕の中でくるりと裏返した。

そこには、沈痛な眼差しで私達を見つめる、蘇我稲目が居た・・・。

稲目様は、何故こんなに心を痛めているのだろう。単に命を狙われたからと言うだけではない。私はその時に直感した。

「人は憎しみと慕わしさの両方の中で、勝てない相手と巡り合う。慕わしさに包まれた負けはすなわち幸せだな。わかるだろう?」私は頷いた。適う筈もない恋ではあったが、私はそれで良いと心を決めていた。

「厄介なのは、もちろん憎しみの中で勝てないと諦めた時だ。それが戦場の中なら簡単な事だ。逃げるか、もしくは逃げ損ねて殺されるかだ。しかし、それが戦場以外ではどうなるのか・・・・。」

「ずっと戦い続ける事になる。勝てないと言う思いと。それは、退屈であり、飢えであり、欠乏である。人を愛しいと思わない者は、それらに勝てないのだ。我慢すると言う事すらあるいは思い浮かばないのだろうかな。」

「そうなると、後は二つしか道はない。より弱い標的を狙うか。もしくは、無理をしてでも、思ったとおりに、勝てない筈の相手を、自分が勝てると思い付いた方法で無理に攻撃するか。どちらかになる。」

「あ奴も最初は諦めようと思っていたのかもな。だから、お前やお前の兄に殺意を向けた。しかし、みよし殿が国元に向かう事によって、留守中に好きに振る舞う事を思い付いた。そして、兵隊をまとめて、我等を襲った。そう言う事なのだろうよ。」

「誰かが犠牲になった。それは間違いない。あ奴は誰かを餌食にする事で生きて来たのだ。稲目様を殺した後は、皆で死体を隠し、口を噤んだだろう。大連を殺して、ただで済む訳はない。そんな大勝負を何故挑んだのか。」父はちらりと稲目様を見た。

「それはあ奴にとっては、自分以外の何も大切だと思えないからだ。明石国がそのせいで滅んだとしても、あ奴はやっただろう。そう言うものなのだ。」

「そんな者は、人の姿をしていても、実は人では無い。もちろん、あ奴を許す理由は無い。けれど、人ではない者を人であるかの様に憎むなど愚かな事。ましてや・・・そのせいで他の人に累を及ぼす事など、正しい事とは思えない・・・・。のですよ、わしにはですが・・・・。」

稲目様は、黙って頷いた。

「この場は・・・な。わしもそうすべきじゃと思う。」

 

その物言いに、私は何とも言えない悲しさを感じた。

その時だ、最後の負傷者収容の兵隊と共に、みよしが林道を歩み出たのは。