悪魔と狐の物語

空想歴史小説ファンタジーです。人の歴史を見つめ続けた神狐と大悪魔の物語。

妹狐の物語16

夜はまだまだ深かった。

戦闘の時間はおおよそ20分そこそこだった様だ。

母と姉が負傷者の治療と、傷口や当て布を洗う湯を用意した。

幸い池のほとりなので、清浄な水が沢山手に入る。

さて、これからは拷問の時間でもあるのだ。

 

賊はブルブル震えながら稲目様と兵隊達に囲まれている。

「お前達の人数は何人程であるか?」深夜の冷気よりも更に冷たく稲目様は問い掛けた。

「全部で100人程です。集まった半分程の兵隊で、先程の襲撃を行いました。」そう賊は答えた。

「お前達はどこの国の者か?」

「私達は、明石国の兵隊です。お館様の命によって、播磨の川縁と近辺の村を見張って歩いていました。土匪が出没すると言う事だったので。」

たどたどしく口にした内容は、そんな感じだった。

 

「こいつら、本当に明石国の兵隊なんでしょうか?」護衛隊長は稲目様に耳打ちする。

「ふむ。」稲目様は鼻を鳴らした。

「汝は明石国の兵隊であるか?ならば、何故に我を蘇我稲目と知って襲って来たか?」

「そ?蘇我氏のお方であらせられますか?」兵隊は目を剥いた。

「わ、我等は、家族を連れた土匪の集団が、近くに潜伏しているとの事で、兵隊を集めて参りました。そ、そして・・・。」

「もう良い・・・。」稲目様は難しい顔をしているのが見えた。

みんな焚火の近くで座り込んでいる。焚火から遠く離れたところに、惨めにひでが転がされている。

「あ奴がそう言いよったのか?我等が賊であると。」稲目様は怒りに燃えて、ひでの方を指さす。

「そ、そのとおりでございます。ひで隊長が、みよし様が明石国まで戻っている間に、皆で手柄をたてようと言い出しまして。」

「あのひでと言う輩は何者だ?みよしは身分も高そうだったが、何故ひでの下で働いているのじゃ?」と護衛隊長が尋問する。

「ひでは、今回集められた兵隊の出身地付近の集落の長の息子です。集落の長の肝入りで、今回の追討派遣の長になりました。正直、行く先々で問題を起こすので、皆は不安に思っておりました。」兵隊は段々と饒舌になってきた。

「とにかく、喧嘩が好きで、兵隊の気に入らない者を虐めるし、見回った先でも集落の者を不用意に威圧するので、みよし様も困り果てておったのです。それでも、それでもこんな事になろうとは。こんな馬鹿な事を企んだのかわかりません。ついて来た者は、みんな死んでしまった。集落に帰っても、私は今回の事を報告できません。」と言って、がっくり肩を落とした。

 

「我等も人死にが出る程に戦って、お前達も40人程も殺されて、それが道すがらですれ違った、根性の曲がったどこぞの村長の息子の単なる言いがかりや訳の分からない怨恨であったと?それが大連の一行を襲った原因だ。それで通じると思っておるのか?」護衛隊長は吐き捨てた。

「お前達のやらかした事は、明石一国が滅ぼされかねん事なのじゃ。」稲目様も困り果てている。

「じゃが、そもそも解せん事がある。何故にひでは我等をそこまで恨んだのじゃ?我等は単にすれ違っただけじゃろう?思い当る事はあるのか?」

「そ・・それは・・・。ここ数か月、ひで隊長は賊を捉えられず、周辺から苦情が殺到しておりました。みよし様を謗る事をなさって、それが知れて、長を外されると噂になっておりました故、焦っておられたのかも・・・・。」

「それと、以前に横山から来た唐国の貴人と言う触れ込みの者共が、実は賊である事がわかって・・・。裏をかかれたひで様は、付近の住民からの苦情と賠償請求がやって来て困ってました。それをみよし様が何とかとりなして下さったのですが。」

「もう、後が無かったのでしょうけど、よりによって蘇我の大連の一行を襲うとは・・・。」聞いていてげんなりした。

 

「つまり、以前に貴人を名乗る唐人に騙されたから、今回も蘇我の貴人であると言われて疑った。そう言う事が原因だと?」護衛隊長は訝しむ。

お許しの出た明石国の兵士は、姉に手当を受けている。

ひでと呼ばれた隊長は、しぶとくまだ生きている。時々癖なのかもしれないが、口をくちゃくちゃと動かしている。歯も欠けて、唇は裂け、目は一つ潰れて、耳も切り裂かれている。

動いたら殺されるとわかってるみたいで、大きく動こうとはしない。時々うめき声をあげて、黙れと脅されているが、懲りていない。

護衛の一人は、鉾をひでの頭付近の地面にぶつけた。流石に恐ろしくなったのか、横を向いて震えている。気付けに池の水をかぶせられて震えてもいる。

そやが近付いて来た。毎度の無謀な戦いで、そやも無傷では終わっていない。

今日も林の中で枝で額を切り裂いていたし、桂甲の布地も破れている。

「あのね・・・。あの、ひでって言う奴。稲目様を見て、ずっと殺してやるって言ってたの。私も殺してやるって思われてたみたい。凄く怖い目だった」と言うと

「何故なんだろう?何故あそこまで馬鹿な事をしでかしたんだろう?」

後々に、私は知る事となったが、精神を病んでいる者は、例えば成人の男、成人の女、子供がいるとすると、必ず子供を狙うのだそうだ。

何故と言うと、本能的に勝てそうな相手を狙うのだと言う。

ひでと言う奴は、多分それに近い精神状態だったのだろう。勝てそうだと思った、だから襲った。勝てそうな人数と、不意打ちで私達を殺そうとした。

進出不明の夜盗や山賊よりも、手早く殺せて、後に言い訳も立つ方法を取ろうとしたのだ。

何と言っても、蘇我の大連程の大物を殺してしまうと、それこそ大問題になる。だから皆で口を噤む理由にもなる。

言いがかりをつけて殺せる相手を、ずっとひでは探していたのだろう。そして、彼の器の限界点がやって来た時に、たまたま私達が通りがかった。

後でわかったのだが、兄もひでから殺してやると呟かれて、睨まれていたのだそうだ。

 

弱い者に攻撃を掛けないではいられない。そんな奴だったのだろう。

そんなひでであるが、朝まできちんと生きていた。

そして、朝には明石国の残りの兵隊が大勢、林の外側に既に到着していたのだった。

私達一家は、それを超感覚で悟っていたが、稲目様達には知らせなかった。

知っている筈がない事だったのだから。それを知らせるなど愚かな事である。

それまでの間に、明石国の兵隊の内で、息の残っていた5人程は姉と母の看病で蘇生していた。40人が35人に減ろうとも、多くの人死にが出たのは間違いないけども。

そんな中で、思い悩む稲目様に対して、父が珍しく口を開いていたのだ。

「稲目様、ひでの行った事が釈然としませんか?」

それに対して、稲目様は驚きを隠せない様子で、「左様。全く解せぬのじゃ。」と答えた。

父は思う所があるようだった。「稲目様は大連であらせられた。そうですな?」

「いかにも・・・。じゃが、それがどうしたのじゃ?」

「思いめぐらされよ。ひでなる悪漢は、所詮は鄙びた明石の村長の息子であり、大連はおろか、兵隊を指揮する事すら、今後はありえないと、そう皆が思っていた奴ばらでございます。」

「それが、蘇我の棟梁たる貴方様は護衛を両手の指より少し多く引き連れただけで、自分の部隊を騙して、唆せば、貴方様を殺せるかもしれないと思った訳です。」

「わしをそれ程に殺したかったと?」稲目様は尚も納得できないようだ。

「さようですな。あ奴の様な曲がり者はどう考えるのでしょうか?肉親や妻子、部下に対する愛情の中で勇気を育み、戦場に臨む者は、決して粗末な戦いの理由で戦う事はありませぬ。しかし、品に乏しく、力量も無く、単に怒りや恨み、出世できぬ身の上を嘆くのみの、己一人だけの世界で生きる半端者には、その程度で理由は立つのでしょうよ。」

稲目様が驚いていたのは、普段喋らない父が口を開いたからか、普段人を寄せ付けない父が人の在り様を語ったからか、父が自分よりも深く人を考察していたからなのか。

「しかし・・・。それが大連を襲う理由なのか?一族滅せられても仕方ない所業を何故に?」稲目様は信じられない様子だった。その時、父は突然に私に声を掛けた。

「さえ・・・。お前は稲目様を慕っておるか?」

私はドギマギした・・・。唐突過ぎる。けど、黙って頷いた。

「稲目様。さえは貴方様の事を考えただけで幸せで、貴方様に抱き抱えられるだけで幸せなのです。普通の人とはそんなものです。」まあ、私は全然人ではないのだけど・・・。

稲目様はその言葉に頷いて、私をあの優しい目で見つめてくれた。心の中に暖かく、安心できる波が立つ。それは、人が感じる事のできる、人の心を持つ者が感じる事のできる、人を結び付け、安らがせ、どんな苦難の中でも道標になる何かなのだ。

「しかし、それを感じられない者がいるのです。」父は、まさに汚物を見る目で脇に転がる血まみれの人物を見つめた。

「そんな者達はどんな風に世界を見ていると思われますかな?人を愛しいと思えない者達とは、何を頼りに生きていると思われますか?」

稲目様は、信じられない何かを見つめる風に父を見つめた。

「その様な・・・。その様な者達をそなたは何人も見て来たのですかな?」稲目様は固い口調でそう言った。

父もある意味決意を固めた様だ。常に平静な父が、更に静かに答えたものだ。

「はい、何人も見て参りました。」

「私は、貴方が思っておられるより。そう、思っておられるより、ずっと長生きしております故に・・・・。」

「左様か・・・・。では、その様な者共は、どの様に世界を見ておるのでしょうか?」

「彼等の世界は、きっと灰色か黒の単色の世界なのでしょう。色はありませぬ。しかしながら、喜びはあるのです。粗末な、人から盗んだ喜びは感じられるのです。そして、彼等彼女等は貪る事しか知りませぬ。」

「何故なら、何故なら、その者どもの食する食餌とは、食えば食うほど腹が減る食餌だからなのです。塩水を飲むと、更に喉が渇くのと同じでございますな。」

「さて・・・。それはどの様な事なのか・・・・。」

「あ奴の様な者どもは、他人を犠牲にする事で昂るのです。他人の幸せを壊せば、命を奪えば、他人の幸せを盗んだ気持ちになれるのです。真実は何も変わっていない、けれど、そうせざるをえないのです。求めて手に入れられず、手に入れた者を見れば、渇望が湧き上がる。それを何度も繰り返す内に、他人の幸福を壊す事それ自体が目的となる。そして、人から愛しみを受ける事は喜ぶものの、人に愛しみを授ける事はないのです。全ては単なる物であり、そこに心は無いのです。」父はそう稲目様に対して説明した。

「それこそ、それこそが仏の教えに書かれた地獄道じゃな・・・・。」稲目様は呟いた。

「”じごく”でございますか?」父は初めて聞く言葉を理解しかねている。

「悪行を成した者が、死後に落とされる救われぬ牢獄じゃよ。」稲目様はそう言ったものの、後々に私が知る事となった地獄とは、随分違う世界を漠然と想像していただけだったのだと思う。

「ならば、それは人の心の中にあるものかと思しまする。死後の事を詳らかに見る者は、この世の中にはおりますまい。遠い異世界ではなく、地獄はまさにこの世の人の心の中にありますのでしょうよ。」父はそう言った後に、もう一度ひでを眺めた。

「あそこに転がっておるのは、大連を殺して、大連以上の力を得たと思い込みたかった愚か者でございます。あ奴の様な愚か者は、遂には大それた事を仕出かしては滅ぶのです。しかし、退屈と不平を持て余して生きる者とは、そういう道を辿るしかないのでしょう。」

「わし等は日々を忙しく過ごし、その合間に気に入った何かを愛でる。愛しい人や愛しむべき身内を常に労わって暮らす。じゃが、その様な日々を過ごさぬ者がそこにおると言う事か。」

「はい・・・・。」それを境に、父は普段の寡黙な人に立ち戻った。

言うべき事を言ったからだ。後々になって私は、父に後に出会った神狐の長老と同様の力があったのではと思う様になった。

父が告げた言葉は、その後に出会ったあの人物の事をそのまま表現していたからだ。

稲目様は、随分深く考え事をしていた。とても悲しく、寂しく、心痛める表情をしていた。私が傍に寄ると、稲目様は黙って私をかき抱いた。その後はずっと黙って考えていた。