悪魔と狐の物語

空想歴史小説ファンタジーです。人の歴史を見つめ続けた神狐と大悪魔の物語。

妹狐の物語14

それからの旅路に特筆すべきものは無かった。

少なくとも、加古川に到着するまでは。

稲目様は、増水する前ならば、川を船で馳せ下って来るのが一番早かったと言っていたが、雪解けの後の古代の加古川は、現在の様な堤防も無く、単なる危険な大きな川でしかなかった。

とにかく、加古川水系の広大な事。大きな丘も、広大な平野もあり、地平線までのキラキラ光っている幾つもの点は溜め池である様だ。

一体幾つあるのだろう?計り知れない。何人の人達がここで暮らしているのだろう?

10万等遥かに超えているに違いない。

この周辺は、鄙びた地域ではあるが、土地と水の豊かさでは出雲を軽く凌いでいると見えた。

暴れてばかりの筑後川とも違う、ひたすらに豊かな実りをもたらす大きな川だと見えた。

今、福崎を抜けて、私達はそれを見下ろす高台にいるのだ。しかし、橋の無いこの大河をどうやって下るのだろう?

 

ここからの道は、現在の播但ハイウェイと加古川バイパスを繋ぐ一本道だ。

ここは6世紀半ばからキッチリと周辺は開墾開拓されており、道も開けていた。

「もう、ここまで来たら後は川を船で下って行けば、その後は海を渡って摂津に向かう事になる。何と言う事もなく後は大和じゃ。」稲目様も旅が峠を越した事で安心しているみたいだった。

この地は、大き過ぎる川のために、東西が完全に分離していた。

現在の加古川市から明石市の播磨と、現在の姫路市から赤穂、龍野までの播磨。同じ播州でも、東西で完全に別世界と言う事だ。

隊商の合計4台の大きな荷車であるが、その内2台は車軸が壊れかけており、隊全部の足を大きく引いた。

兄は、ありあまる体力で壊れかけの荷車を引くと買って出た。それを引いていた2人の荷役夫は、疲労と不平で目的地寸前でしゃがみこみそうな雰囲気だったのだ。

だらしないと思うが、古代の下人なんか、言ってみれば感情のままになんでもやってしまう半端者ばかりだった。

私達も下人と言えば下人だったが、父は働き者のトップ技術者だし、母も働き者のトップ専業主婦、姉は見事なまでのトップナースだったと。

兄も忘れてはいけない。トップ荷車引きだ。遊んでるのは私だけと言う事だったね。

つまり、私達とは大きく違う、ただの無産市民ですらない下人だったから。失うものなんか無い。馘首されたら、この人達こそ山賊になるかも知れないって感じだった。

そこらは、稲目様も良くわかっている。絶対に監視の目は緩めない。泣き言も言わせない。けど、それでも彼等は必ず楽をしようとするのだ。

私ですら稲目様の乗る馬の草を刈り取って運んでたと言うのにね。気楽なものだと思う。

 

そう、その草刈りだけど、旅の初めは稲目様は隊列を離れての草刈りを許さなかった。子供が迷子になったら、その時点で大捜索になるのだから。

けれど、稲目様はその心配をしなくなった。いよいよ、私は彼から普通の子供だとは思われなくなったと言う事だろう。

むしろ、下人達の逃亡の方を畏れていたみたいだ。その点、私なら安心だったのかも。

あるいは、本当に私が尻尾(文字のとおりではないだろうけど・・・)を出すのをある意味期待していたのかも知れないが。

まあ、そんな稲目様の心配や期待をよそに、私はちょこちょこと大きな籠を担いで走り、まだ背の低い草を刈り取ってはバカみたいに大食いの馬に餌を運んでいたのだった。

馬は食事を絶やすとすぐに弱ってしまう。寄り道もさせられない。誰かが取ってくるしかないのだ。父も黙って籠を担ぎ、私とは別々の場所で、隠れて乾いた焚き木とかも調達して来るのだ。何と恵まれた旅人達なのか・・・。

母は母で、黙って隊商の下人の不満を抑えている。不思議な力で、それを使い過ぎない様に注意しながら。この時点では旅は中盤の終わり位だった。そこであんな大事が起ころうとは・・・。

 

予兆は加古川の渡しに差し掛かったところで見えていた。

そこには、ずらりと20人ばかりの鉾を持った兵隊が屯していたのだ。

物々しく武装した兵隊達は、向こう岸にも見えていた。

日本にも、当時から後に匪賊と言われる、国家、地方政権、豪族あるいは後の封建的な武力集団とは別の武装集団が居た。これらは後に厳しく取り締まられて、連座した者は例外なく皆殺しにされて行くのだが、この当時は元気なものだった。

彼等は、勝手に田畑を荒らし、人を脅したり殺したりして略奪を働く輩であり、私達一行が退治した山賊も同じ様な連中だ。それらが土地の定住者を相手に暴れているのだ。それを捜索、退治するために、この近くで編成された兵隊が動いていると言う事だが、これが問題なのだ。

要は、彼等は官製の警察組織ではない・・・。これがどう言う事かと言うと、警察行動を行っていても、普段から揉めている近隣の豪族の土地には入れない。無理に越境して捜査を行おうとすると、それが豪族同士の紛争の種になる。それを見越して、匪賊達も境から境を頻繁に動き回る。捜査なり討伐なりが上手く行かないと、彼等は責任を問われかねない。だから・・・。

 

川岸に屯していた兵隊達は私達の隊商を発見した。

こちらに向かって、彼等は一丸となって向かって来る。

全員が歩兵なので、速度自体はそれ程早くはない。しかも上り坂なのだし。

ただ、殺気立っているのは見ていてわかる。

稲目様も、不穏な気配は察したのだろう。馬に跨ったままで前に進み出た。

「やあ、播磨の強者達よ。武器を持って何故に我等の隊商に近付くのか?この者等は出雲から来た蘇我の家の者どもであり、我は主の蘇我稲目であるぞ。」と朗々たる名乗りをあげた。

それを聞いて、兵隊達は立ち止まり、顔を見合わせた。

「荷物を改めさせろ。汝らがどの様な者かは知らぬ。我等は賊を追えと命じられた故、見慣れぬ者、怪しい者の荷を改めぬ訳にはいかん。」長らしき者がその様に大きな声で呼ばわった。

「汝らの主の名を聞こう。かかる無礼は後日咎めずにはおかん。」稲目様の口調は、極平板でありながら、雰囲気で私達も播磨の兵隊達も凍り付かせる程の怒りを発していた。

ざわざわと播磨の兵隊達がさざめいた。

「やましい所がなくば、主の名を告げても問題なかろう?さあ、汝らの主は誰なのじゃ?」事前に言っていた事とまるで逆である。播磨の兵隊を怒らせてはいけない筈だったのに・・・・。

 

「さえ、後ろに退っていろ。」ひそひそ声でそやが話し掛けて来た。

口を一文字に結んで、槍を右手に掴んでいる。

「さあ、汝らの主は何と言う者なのじゃ?それとも、汝らは身の証しすらできぬ者どもか?」稲目様に退く気はない様子だった。

「お待ち下され。まずは非礼を詫びまする。」年長の兵隊がそう声をあげた。

ざわざわと兵隊達が声をあげる。不穏な雰囲気はまだ去らない。

「みよしよ、お前は長ではなかろう。出過ぎた真似をするな!」と怒鳴る声があがる。

「ひで、蘇我の貴人相手に事を構えるつもりか?お前は長かも知れんが、出過ぎておるのはお前だろうよ!」内輪もめが始まった様だ。

「みよしとやら、重ねて聞く。汝らの主は誰じゃ?」

「我等は明石国から播磨国に追討の命を受けて罷り越しました者どもにございます。弥栄のお館様よりの直々のお達しにより、境を越えて参りました。」みよしはそう応えた。

背の高い、見るからに根性の曲がった兵隊は不服を越えて激怒していた。身震いしながら、高い背を震わせて身体を揺らしている。キチガイ者にしか見えない。

「本物かどうか何故わかる!こいつらが賊で無い証拠はあるのか?」と狂った様に怒鳴り出したが、稲目様が「もし詳しく調べた上で本物であったなら、ご一族である弥栄の殿であっても、大君より非礼故に咎めを受ける事だろうよ。それがわかっておらぬか?」とたしなめられた。

ひでと呼ばれたその兵隊は、目を剥いて恐怖に震えあがったが、それで納まるだけの器は持っていない様だった。怒りを全く隠さず、ひでは口だけを噤んだ。

そこらは稲目様もご存じである様だ。もう、ひでを一切相手になどしない。

「我等は大和に向かう。加古川を下る船が必要じゃが、渡しはどこにあるのか?食糧も必要じゃが、市はあるか?近くの村で交換はできるか?」と聞いた。

「市は近くでは立っておりませぬが、近くの村は川縁に幾つかございます。それと、舟は近くまで毎日参ります。明石国の港まで渡る舟はありませぬが、河口まで出れば乗り換えはできます。しかし、もう今日は大きな舟は全て出てしまいました。帰りは明日の昼前です。渡しはあそこでございます。」と指をさした。

そこには、木と石でできた桟橋があった。対岸にも渡しがあるのが見えた。

「まことにかたじけない。では、我等は舟を待つ事にする。くにのみたから(良民)のために頑張って下され。」と答えて、それで話は終わった。

隊列は、左右に分かれた明石の国の兵隊の間を通って行く。

隊商の中段、稲目様が通るまで、ひでは口をもごもごと動かしながら目を伏せていた。通った後は、ずっとこちらを睨みつけている。私に向かっては、狂った様な目で脅そうとしていた。

そして、すれ違ってから随分して、ひでの呟く声を聞いた。

「殺してやる。殺してやる。」そう呟いていた。

この時点で、私はその夜に何があるのかをはっきりと知る事となった。

まだ、昼を過ぎてからさほどの時間は経っていない。