悪魔と狐の物語

空想歴史小説ファンタジーです。人の歴史を見つめ続けた神狐と大悪魔の物語。

妹狐の物語8

その頃の私の外見は、大体6歳から7歳位の外見だった。

手足は細く長く、大体1000年以上先の外見であったと思う。

この頃の私は、自分で言うのも何だが、可愛い盛りで、既に12歳、当時の結婚可能な年齢に達している姉とはまた違う意味で人目を引いた。

ともかく、可愛がられたのだ。いろんな人達から。

今回やって来た、髭もじゃの大男、蘇我氏の貴人の目に留まった私は、父と共に彼の館に招かれて、家族ともども歓待された。

単に彼が道を通った際に花束を渡したからではなく、評判の鍛冶屋の娘だったのを貴人は最初から知っていたのだろう。

 

蜜の飴や、後の世に水菓子と呼ばれる果実の類、麦芽糖を使った雑穀や干し納豆の菓子を貰い、甘酒が注がれる。

 

後日には、食事にも誘われた。新鮮な鱠に酢や塩に昆布で味を付けた物。後には失われた発酵食品に乳製品まで振る舞われる。

6世紀も半ばのこの頃には、既に日本には蒸し器が一般化しており、餅作りが普及していた。

当時の糯米は、現在の赤米や黒米も含んでいる。紅白や白黒の餅があり、それらは発芽した大麦と共に温められ、更に煮込まれて麦芽糖になる。

私も何度も麦芽糖を作る手伝いをしたものだ。今回の復員兵達にも、その甘露が振る舞われる。大豆の粉と混ぜられて、美味な携帯食糧が作られる。

力自慢の出雲男と、やはり逞しい復員兵達が力を合わせて餅をつきあげて行く。

船から運び出された単なる糧秣、単なる食糧が、粗末な穀物が想像もつかない程の美味に短時間で変化して行き、歓声をあげる兵隊達に手渡され、その場で振る舞われて行く。

私達もそのおこぼれに存分に預かったものだ。

最後に昆布出汁と塩、様々な海藻や切った魚で羹が作られ、膳に添えられた餅や七草が入れられる。私は満喫した。小さな胃袋なのが残念だった程だ。

 

そんな食欲中心の私をよそに、姉と母は貴人の身内の賢い女たちと談笑し、父と兄は貴人相手に自作の先進的な武具や武器の話で盛り上がっている。

日本人は、今も昔も子供に甘い。話の中で興奮してしまった兄は、食事中に館の庭を遠慮なしに横切って塀を飛び越え、家まで疾走して自分の弓を取りに戻ってしまった。

そんな無作法を、豪快に貴人は笑い飛ばし、元気の良い子だと褒めたりもした。

やがて、土埃に汚れた兄が館の門番にやはり笑って通して貰い、弓と矢、標的にする木の板まで背負って帰って来た。

貴人に弓矢を手渡して、試しに使ってみろと嗾ける。

その弓は、例の引けない弓であり、力の強い貴人ですら引く事は適わない。

兄は得意満面で弓を受け取って、押してすぐに放った。

貴人もそれを見て、弓を押して矢を放つ。的まで十間ばかりの距離だが、当時の弓矢は射程が二十間そこそこ、それですら命中率は大した事がない。

ところが、この弓はともかく十間ならばほぼ必ず当たる弓である。飛ばすだけなら三十間は楽なもの。しかし、矢は長さも重さも足らず、鳥打ちには良くても、武器としてはどんなものなのか。

貴人は考え込んで、不可思議な造りの弓を手で弄んでいる。

兄と父は、同じような弓ならまた作りますのでと言って、貴人に弓と矢を渡した。

貴人は感謝して受け取り、私達一家に褒美を与える様に下人に申し付けた。

父は思う所があったらしい。壊れやすく、乱戦で邪魔になりやすい鉾ではなく、槍の原型の様な武器の利点を説明した。

これならば、まとまった数の徒歩兵が間隔を開けずに戦える。鍬の様に使う鉾ではなく、矢の如く刺す槍は剣を持った兵隊にも有利に戦えると。

本音では、父は単にソケット付の武器をいろいろと作ってみたかっただけかも知れないのだが。それがたまたま使い勝手の良い武器になったと言うのが本当なのだろう。

 

話は更に盛り上がり、興が乗って、貴人を引き込んでしまった。当時の日本人は異様に興奮しやすい人達が多い。後世の落ち着いた日本人観は、古代には当て嵌まらない。

実際に、館の下人と衛士に並んで貰い、棒を手にして鉾と槍の戦いを演じて貰ったりもした。やり過ぎなのだろうが、素面でここまで興奮できるのが当時の日本人だ。

 

そして、模擬戦は本当に実戦的なものとなった。

狭い所では、並んだ槍が圧勝したのには、皆が驚いたものだ。野戦以外では、槍が強いと知れた。建物の中では、剣よりも強いとわかった。高さが違う場所でもだ。

戯れから始まった模擬戦闘の結果は、頭の良い貴人に強い印象を与えた。

「もっと沢山の事を教えて欲しいのじゃ。我は汝らの話をもっと聞きたい。」彼はそう言った。「汝の顔ももっと見たいでな。」そう言って頭を撫でてくれる、大きな顔と大きな身体の優しい武人。

齢100歳になろうとする神狐の私が、この人間の男には本物の好意を抱いた。

私は何故神狐に人を殺すなと言う禁忌があるのか。その理由の一端を知った。

これから4世紀も後に、私はこの貴人の面影のある武士を見る事になる。

その人には、家族全員が心酔し、彼の力になって行くのだが。だが、この時点では、私も家族も、やがて来る別れの予感の中で、今日のこの日を喜ぶ事だけを考えていた。

 

「さあ、我は近日の内に大和に向かう。一緒に居れる日は限られておるのでな。」彼はそう言った。

大和の国は、次に私達が向かう予定の土地だった。しかし、それをこの貴人に言う訳にはいかない。

「稲目様は大和にお越しなさるので?」父がそう言うと、貴人は「然り。我は大和に参らねばならぬ。お主も同道するか?」との言葉を頂いた。

父は迷った末に彼の申し出に乗った。

先にも言ったが、私は仏教は嫌いだ。今も嫌いだ。

しかし、この国に仏教を最初に伝道した者を嫌う事はできなかった。数多くの妻を持ち、皇室に絶大な影響力を持つ逞しく優しい蘇我の稲目。

彼は私に教えてくれた。

焚き木の燃えさしの様に簡単に死んでしまう人間達。その人間達がいかに眩しく、激しく生きて行くのかをありありと教えてくれたのは彼だった。

この様な人間と言う私達の人生を導いてくれる灯火を、おさおさ粗略に扱ってはならぬ。命を奪うのは簡単であっても、それをすればとても大事な道標を自分で壊す事になりかねないのだと言う事を知ったのだ。

 

彼の行いには、許せぬ所は確かにあった。しかし、千年を遥かに超えた今も、彼に対する好意は、私の中では変わらないのだ。

そんな彼とも、別れはすぐそこに迫っていたのだけれど。