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悪魔と狐の物語

空想歴史小説ファンタジーです。人の歴史を見つめ続けた神狐と大悪魔の物語。

妹狐の物語14

それからの旅路に特筆すべきものは無かった。

少なくとも、加古川に到着するまでは。

稲目様は、増水する前ならば、川を船で馳せ下って来るのが一番早かったと言っていたが、雪解けの後の古代の加古川は、現在の様な堤防も無く、単なる危険な大きな川でしかなかった。

とにかく、加古川水系の広大な事。大きな丘も、広大な平野もあり、地平線までのキラキラ光っている幾つもの点は溜め池である様だ。

一体幾つあるのだろう?計り知れない。何人の人達がここで暮らしているのだろう?

10万等遥かに超えているに違いない。

この周辺は、鄙びた地域ではあるが、土地と水の豊かさでは出雲を軽く凌いでいると見えた。

暴れてばかりの筑後川とも違う、ひたすらに豊かな実りをもたらす大きな川だと見えた。

今、福崎を抜けて、私達はそれを見下ろす高台にいるのだ。しかし、橋の無いこの大河をどうやって下るのだろう?

 

ここからの道は、現在の播但ハイウェイと加古川バイパスを繋ぐ一本道だ。

ここは6世紀半ばからキッチリと周辺は開墾開拓されており、道も開けていた。

「もう、ここまで来たら後は川を船で下って行けば、その後は海を渡って摂津に向かう事になる。何と言う事もなく後は大和じゃ。」稲目様も旅が峠を越した事で安心しているみたいだった。

この地は、大き過ぎる川のために、東西が完全に分離していた。

現在の加古川市から明石市の播磨と、現在の姫路市から赤穂、龍野までの播磨。同じ播州でも、東西で完全に別世界と言う事だ。

隊商の合計4台の大きな荷車であるが、その内2台は車軸が壊れかけており、隊全部の足を大きく引いた。

兄は、ありあまる体力で壊れかけの荷車を引くと買って出た。それを引いていた2人の荷役夫は、疲労と不平で目的地寸前でしゃがみこみそうな雰囲気だったのだ。

だらしないと思うが、古代の下人なんか、言ってみれば感情のままになんでもやってしまう半端者ばかりだった。

私達も下人と言えば下人だったが、父は働き者のトップ技術者だし、母も働き者のトップ専業主婦、姉は見事なまでのトップナースだったと。

兄も忘れてはいけない。トップ荷車引きだ。遊んでるのは私だけと言う事だったね。

つまり、私達とは大きく違う、ただの無産市民ですらない下人だったから。失うものなんか無い。馘首されたら、この人達こそ山賊になるかも知れないって感じだった。

そこらは、稲目様も良くわかっている。絶対に監視の目は緩めない。泣き言も言わせない。けど、それでも彼等は必ず楽をしようとするのだ。

私ですら稲目様の乗る馬の草を刈り取って運んでたと言うのにね。気楽なものだと思う。

 

そう、その草刈りだけど、旅の初めは稲目様は隊列を離れての草刈りを許さなかった。子供が迷子になったら、その時点で大捜索になるのだから。

けれど、稲目様はその心配をしなくなった。いよいよ、私は彼から普通の子供だとは思われなくなったと言う事だろう。

むしろ、下人達の逃亡の方を畏れていたみたいだ。その点、私なら安心だったのかも。

あるいは、本当に私が尻尾(文字のとおりではないだろうけど・・・)を出すのをある意味期待していたのかも知れないが。

まあ、そんな稲目様の心配や期待をよそに、私はちょこちょこと大きな籠を担いで走り、まだ背の低い草を刈り取ってはバカみたいに大食いの馬に餌を運んでいたのだった。

馬は食事を絶やすとすぐに弱ってしまう。寄り道もさせられない。誰かが取ってくるしかないのだ。父も黙って籠を担ぎ、私とは別々の場所で、隠れて乾いた焚き木とかも調達して来るのだ。何と恵まれた旅人達なのか・・・。

母は母で、黙って隊商の下人の不満を抑えている。不思議な力で、それを使い過ぎない様に注意しながら。この時点では旅は中盤の終わり位だった。そこであんな大事が起ころうとは・・・。

 

予兆は加古川の渡しに差し掛かったところで見えていた。

そこには、ずらりと20人ばかりの鉾を持った兵隊が屯していたのだ。

物々しく武装した兵隊達は、向こう岸にも見えていた。

日本にも、当時から後に匪賊と言われる、国家、地方政権、豪族あるいは後の封建的な武力集団とは別の武装集団が居た。これらは後に厳しく取り締まられて、連座した者は例外なく皆殺しにされて行くのだが、この当時は元気なものだった。

彼等は、勝手に田畑を荒らし、人を脅したり殺したりして略奪を働く輩であり、私達一行が退治した山賊も同じ様な連中だ。それらが土地の定住者を相手に暴れているのだ。それを捜索、退治するために、この近くで編成された兵隊が動いていると言う事だが、これが問題なのだ。

要は、彼等は官製の警察組織ではない・・・。これがどう言う事かと言うと、警察行動を行っていても、普段から揉めている近隣の豪族の土地には入れない。無理に越境して捜査を行おうとすると、それが豪族同士の紛争の種になる。それを見越して、匪賊達も境から境を頻繁に動き回る。捜査なり討伐なりが上手く行かないと、彼等は責任を問われかねない。だから・・・。

 

川岸に屯していた兵隊達は私達の隊商を発見した。

こちらに向かって、彼等は一丸となって向かって来る。

全員が歩兵なので、速度自体はそれ程早くはない。しかも上り坂なのだし。

ただ、殺気立っているのは見ていてわかる。

稲目様も、不穏な気配は察したのだろう。馬に跨ったままで前に進み出た。

「やあ、播磨の強者達よ。武器を持って何故に我等の隊商に近付くのか?この者等は出雲から来た蘇我の家の者どもであり、我は主の蘇我稲目であるぞ。」と朗々たる名乗りをあげた。

それを聞いて、兵隊達は立ち止まり、顔を見合わせた。

「荷物を改めさせろ。汝らがどの様な者かは知らぬ。我等は賊を追えと命じられた故、見慣れぬ者、怪しい者の荷を改めぬ訳にはいかん。」長らしき者がその様に大きな声で呼ばわった。

「汝らの主の名を聞こう。かかる無礼は後日咎めずにはおかん。」稲目様の口調は、極平板でありながら、雰囲気で私達も播磨の兵隊達も凍り付かせる程の怒りを発していた。

ざわざわと播磨の兵隊達がさざめいた。

「やましい所がなくば、主の名を告げても問題なかろう?さあ、汝らの主は誰なのじゃ?」事前に言っていた事とまるで逆である。播磨の兵隊を怒らせてはいけない筈だったのに・・・・。

 

「さえ、後ろに退っていろ。」ひそひそ声でそやが話し掛けて来た。

口を一文字に結んで、槍を右手に掴んでいる。

「さあ、汝らの主は何と言う者なのじゃ?それとも、汝らは身の証しすらできぬ者どもか?」稲目様に退く気はない様子だった。

「お待ち下され。まずは非礼を詫びまする。」年長の兵隊がそう声をあげた。

ざわざわと兵隊達が声をあげる。不穏な雰囲気はまだ去らない。

「みよしよ、お前は長ではなかろう。出過ぎた真似をするな!」と怒鳴る声があがる。

「ひで、蘇我の貴人相手に事を構えるつもりか?お前は長かも知れんが、出過ぎておるのはお前だろうよ!」内輪もめが始まった様だ。

「みよしとやら、重ねて聞く。汝らの主は誰じゃ?」

「我等は明石国から播磨国に追討の命を受けて罷り越しました者どもにございます。弥栄のお館様よりの直々のお達しにより、境を越えて参りました。」みよしはそう応えた。

背の高い、見るからに根性の曲がった兵隊は不服を越えて激怒していた。身震いしながら、高い背を震わせて身体を揺らしている。キチガイ者にしか見えない。

「本物かどうか何故わかる!こいつらが賊で無い証拠はあるのか?」と狂った様に怒鳴り出したが、稲目様が「もし詳しく調べた上で本物であったなら、ご一族である弥栄の殿であっても、大君より非礼故に咎めを受ける事だろうよ。それがわかっておらぬか?」とたしなめられた。

ひでと呼ばれたその兵隊は、目を剥いて恐怖に震えあがったが、それで納まるだけの器は持っていない様だった。怒りを全く隠さず、ひでは口だけを噤んだ。

そこらは稲目様もご存じである様だ。もう、ひでを一切相手になどしない。

「我等は大和に向かう。加古川を下る船が必要じゃが、渡しはどこにあるのか?食糧も必要じゃが、市はあるか?近くの村で交換はできるか?」と聞いた。

「市は近くでは立っておりませぬが、近くの村は川縁に幾つかございます。それと、舟は近くまで毎日参ります。明石国の港まで渡る舟はありませぬが、河口まで出れば乗り換えはできます。しかし、もう今日は大きな舟は全て出てしまいました。帰りは明日の昼前です。渡しはあそこでございます。」と指をさした。

そこには、木と石でできた桟橋があった。対岸にも渡しがあるのが見えた。

「まことにかたじけない。では、我等は舟を待つ事にする。くにのみたから(良民)のために頑張って下され。」と答えて、それで話は終わった。

隊列は、左右に分かれた明石の国の兵隊の間を通って行く。

隊商の中段、稲目様が通るまで、ひでは口をもごもごと動かしながら目を伏せていた。通った後は、ずっとこちらを睨みつけている。私に向かっては、狂った様な目で脅そうとしていた。

そして、すれ違ってから随分して、ひでの呟く声を聞いた。

「殺してやる。殺してやる。」そう呟いていた。

この時点で、私はその夜に何があるのかをはっきりと知る事となった。

まだ、昼を過ぎてからさほどの時間は経っていない。

妹狐の物語13

その後の道中は、比較的だが平穏であった。

山賤どもが何度か姿を見せたが、それらは全て撃退された。

と言っても、血を見るまでに肉薄して来た山賊たちは居なかったのだけど。

 

最近では、稲目様が私を見る目線には、明らかに普通の人間を見る以外の目線が混じっている様だ。

山梔子の香りを発する、日焼けする事を知らない幼女。単に不思議な何かだけではない、そんな存在。しかし、稲目様は、私達に何も言わなかった。

ただただ、私が甘えるのに応えてくれた。ただただ、私達家族を大事にしてくれた。

 

多分、そうであってほしいと私は思っているのだが、仏教が本来の仏教ではなく、現在まで続く様な殺生を好まず、ただただ穏やかに生きる事を説く宗教となった理由。

ある意味衰退した精神の産物とさえ言える程に、懐古的で、それでいて現状維持的で、救済を求める人達の願いを吸い上げる形で日本に固着した理由は何か?

その伝来時期にそれを布教した人達の周辺の恐るべき闘争と、その闘争の結末、闘争の終わった後に残った人達の願い、あるいは思惑を反映しているのではないか。

そう思えてならない。

 

当時の私はそんな事を考えたりはしなかった。野山の美しい光景と、ゆっくり進んで行く旅程、もうすぐ到着するだろう播磨の国で何があるのかと言う空想。

それらを楽しむばかりだ。

大して拓けている訳でもない悪路を、私達は更に踏み分けて行く。

食糧は途中までと打って変わり、あまり余裕がなくなっている。どうしても警戒を緩められず、脚は遅くなる。荷役夫達も怯えと疲労で働きが悪くなって行く一方だ。

 

遂に、一行は現在の福崎町のあたりで足止めを食らう事となった。

数日間の強行軍の疲労に加えて、天候が悪化して雨が降り、そのせいで荷車を動かせなくなったせいだ。

一行の荷車は、当時の基準では左右の大きさもきちんと揃い、作りも悪くはなかったが、いかんせん6世紀の木造物など、出来も強度も玩具の様なものだ。

後世の幌の様な物も無く、雨を防ぐのに木の板を使っていた位だ。何をどうやっても、荷物を守ろうとしたら遮蔽物の下に隠れるしかない。

護衛も荷役夫も寒さに凍えて人心地すら付けない。その点、私達は気楽なものだった。

何しろ、私達は格好を整えているだけで、本来的に寒さを何とも思っていなかったのだから。

父は隠れて、一応道具だけは使ったふりをして火を起こした。一睨みで水の中に漬けておいた木材ですら、カラカラに乾かす力を持っている位だから。

不公平な事おびただしいが、私達にはそんな力を有効に使う事だけが頭にある。バレない様に・・・使う事だけが。

あらかじめ用意されていた鉄のお盆、その中にはおがくずや木片が一杯入れられている。燻る火をふうふうと息を吹きかけて熱く起こし、即席のかまどにくべて皆でそれを取り囲んだ。

きな粉と水飴で作った携帯食が配られ、熱い白湯を作って飲む。厳しい寒さとは言えないが、疲労を重ねた隊商の人達はほぼ限界に近付いていた。

疲れを知らない兄以外は、誰も彼もここで休まなかったら倒れていたかも知れない。

「播磨の海側まで来れば、そこからは船を待って摂津に抜けられるのだ。それまでの我慢じゃ。」稲目様はそう言って皆を励ました。

「それとじゃが、播磨の国の者どもは、普通ではなく気が荒い。何としても争いは避けよ。」これはそや達と播磨を訪れた事のない護衛達への訓示だった。

「何しろ、縄張り意識が強く、よそ者の勝手を嫌う。侮辱するような態度も見せるな。生真面目な態度で通せ。道理がわからない者達でも無いが、争いは避けよ。」そうも語った。

私はそれを耳にして、嫌な予感に襲われたものだ。

妹狐の物語12

それからの旅は順調に進んだ。

ただし、戦いの中で死んでしまった可哀想な人足達は、次の集落で埋葬して貰う事になった。

生き残っていた盗賊の負傷者を尋問した結果、盗賊の出身は次に訪問する村の者だとわかったのだ。

これには稲目様もカンカンに怒っていて、尋問の後に盗賊は鉾で切り殺されたし、次の集落の長には絶対に責任を取らせると息巻いている。

その他の死者の内、数名は日本人ではなさそうな感じだった。

着衣が、ここらの住民風の貫頭衣ではなくて、前開きの羽織物だった。帯も使っていたから、そう思われても仕方ないだろう。

血まみれの顔では、人相の見分けも付きにくいが、目が吊り上がっているのを見ても、これは異国の者達だったのだろうと推測された。

一つ良かったのは、私達が手傷さえ負わなかったことで、道中見る見る内に稲目様の機嫌は良くなって行った。何と言うか、古代の人達はこんなもんだったのだ。

権謀術数に長けた稲目様でもこの有様。どれだけ人が判り易く、あからさまで正直だったかと言う事だ。

 

私としては、徹底的に稲目様に甘えた。そやも稲目様と一緒に私の事を可愛がってくれるし。当時の私もそれだけで満足だったのだ。

次に訪れた集落の長は、それでもこってりと絞られていた。

おかげで食糧も安く手に入り、荷役夫は丁寧に埋葬されたのだ。

稲目様は、埋葬された荷役の下人達を慰霊するために、やはり祝詞を唱えた。

仏教伝来の大元締めとしてはどうかとは思うが、当時の仏教は経典も無く、有識者とやらの独占している秘密の一つでもあったのだから。これは仕方ないことかも知れない。

繰り返すが、当時は日本人の誰も仏教徒は何かを知らなかった。その伝来に大きな影響を与えた稲目様も含めてだ。

 

集落では交易も行われた。布や麻紐、当時の村では鍛冶屋は存在しない所も多かったので、鉄器の道具類、特に刃物は集落の人達も書いたがった。

それらは高価過ぎて全部は買えなかったし、ここには鍛冶をする作業場そのものが存在していなかったので、父が何とかすることもできなかった。

そもそも、この近くには発見されているこれと言った鉱山も当時は無かった。

要は、ここらは後進地帯であって、交易の材料も乏しい。だから、山賊に組する者も出て来るのだろうけど。

 

荷降ろしの最中に、稲目様が何かを見つけて大喜びしていた。

何の気なしに近付いて見物していた私は、その荷物を見て、本当に興味が湧いて来た。

それは、つやつやした陶器の壺に収められていた、見た事のない何かだった。

封を開けていなくても、私にはその何かの香りがわかった。

けれど、そこはそれ、私も神狐なので、人間には正体を悟られたくはない。だから黙っていた。のだけれど。。

 

稲目様は、その封を開いて中身を取り出した。白い粉、香りは山梔子の香りだ。

「それは何?」私は本気で興味を抱いて稲目様に問い掛けた。

稲目様は、それを取り出してにんまりと笑うと、「さえにはまだ早すぎるかもな?」と言って大笑いした。

「これは脂粉、儂等はおしろいと呼んでおる。山梔子の香りを付けてはおるが、これは黄色くはないのじゃ。凄いもんじゃろう?いい香りじゃろう?」と喜んでいた。

「さえには、こんなもの必要ないかもしれませんね。元から真っ白ですよ。この子も、お姉さまも、お母様も。」そやが口添える。

「なるほど・・・・さえには必要ないものかもな?」稲目様は、そういってマジマジと私の事を見つめたものだ。

「稲目様は・・・。その香りが好きなの?」私はその時、どうにかなっていた。そう、私は本当に子供だった。親が心配する様に振る舞ってしまう、困った子供だった。

 

「ああ、大好きじゃな。山梔子の香りは、どの花よりも大好きじゃ。」

甘い香り。後々のアイスクリームの様な香り。

「ささ、もう蓋を閉めるぞ。」と言って、稲目様は壺の口を閉じて、染色された紐を括り直した。

「あれ、まだ香りがしますよ。」そやが呟く。

稲目様も、私も、それに気が付いていた。しばらく、二人の男たちはクンクンと鼻を鳴らしていたが、すぐに何が香りを発しているかを突き止めた。

「さえ?お前が?」稲目様は私を抱き上げて匂いをかいだ。そやも同様に匂いをかいでいた。まるで、獣が求愛する際の動作であったが、これはこの当時の男どもとしては仕方のないことだったろう。

 

かくして、私はそれから15世紀以上もの間、身体から山梔子の香りを発し続けることとなったのだ。

父母の言う事には、これは変化の一種なのだと言う。

私が初めて好きになった異性、初老の貴人にもっと好きになって欲しいと願う気持ちが、私を変化させたのだと言う。

後悔先に立たずとはこのことだった。私は、この時起きた変化を元通りにすることは遂にできなかったのだから。

だから知らないふりをしていた。

不思議な事もあるものだと、微笑みながらそれらの話題を全部スルーしたのだ。

 

その程度のことは、女に生まれて来たのなら、ちゃんとできなくてはならない。

内心では大汗を流していても、それでも気が付かないふり、無邪気なふりをして、不思議ですねぇとしらを切り続けたのだ。

しかし、意に反してと言うか、実は狙いのとおりなのか。

私が稲目様から抱き上げられることはそれから多くなった。そのことに、私は何の不服もなかった。

妹狐の物語11

双方の先鋒が睨み合う中、姉は近くの山の上を走る人影を見つけた。

「あそこです。」そう指差す先に、数名の武器を持った山賊がこちらを覗っているのが見えた。稲目様は露骨に顔をしかめて、後ろの列に警戒する様に促した。

 

「儂も後ろに加勢する。」父はそう言って、手槍を掴んだ。

稲目様は、それを見て眉を動かしたが、役に立ちそうもない怯えた荷役夫が中段に固まってしまっており、それらの近くを離れられない。

相手が呼びかけて来た時に対応する為にも、稲目様は中段を離れてはいけないのだ。

隊商の護衛達は、父の作った立派な武器で武装しているし、桂甲を装着している。

訓練もきちんと受けている。余程の人数でなければ、遅れは取らない。

稲目様は、状況を把握しようとしていた。相手の加勢はどの程度になるのか。少なくとも、後段に向かう数名は確認している。

どれ程の人数が埋伏しているのか。稲目様は迷っていた。

「前の列、盗人どもを蹴散らせ!」遂に稲目様は決断した。

まずは兄が弓を持った盗賊をその小さな弓で撃った。狙いは違わず、盗賊の肩に矢が突き刺さる。悲鳴と人血を垂れ流して、盗賊は弓を手放した。

慌てた盗賊は、弓をまずは射始めた。しかし、この当時の弱い弓で、俊敏極まりない兄を射止めることなど人間には不可能だ。

護衛達は、変わらず荷車の盾の後ろに隠れている。その陰から弓を射られて、更に二人の射手が倒れる。こちらはものの見事に脚と腹に命中しており、到底戦闘可能とは思えない。

その時に肩に矢を受けた者が口走っている言葉が日本語ではない事に気が付いた。

「あれは唐人ではありませんか?」稲目様に私がそう告げると、「どの国の者であろうと、盗人は盗人じゃ。潰えさせておけば、付近の者達のためにもなる。」とだけ返事をしてきた。

突然、前列と対峙していた盗賊が踵を返して、出て来た間道に姿を消した。負傷者はそのまま置き去りにされた。

後段に現れた盗賊達も、間道から降りて来たところを、弓で射られて負傷者を出し、すぐに撤退した。

それからの事は、私達は全部聞いていたけど、聞こえないふりをしていた。

倒れた盗賊の内、脚を射られた盗賊は日本語を話していた。刃物をかざされて、彼は洗いざらいを白状させられる。

盗賊の人数は、何と30人以上に及ぶ事、近くにそれらは伏せている事。

近くの集落で、私達の隊商の事を聞いて、その荷物を狙っていた事。何よりも私を不安にさせたのは、隊商に美しい娘と女がいると盗賊が耳にしている事だった。

つまり、姉と母も盗賊の標的になっているのだ。それを聞いて、稲目様がカンカンに怒り、護衛に命じて盗賊の親指を切り落とさせてしまったのにも参った。

 

ここは道細い山中で、次の集落まで急いでも一晩は夜明かしはしなければならない。

次の集落だって、正直そこが盗賊と結託した集落でないと言う保証はないのだ。

盗賊達には多分土地勘がある者が多数入っている。下手をすると夜討ちがあるだろうし、それを警戒するとなると、おちおち眠っても居られない。

今晩か明日になる戦いは、体力的にこちらの不利になるのは間違いないところだ。

相手は好きな時に攻撃できる。なんなら攻撃しないでも良いのだ。

それからの私達は、夜に備えて多めの枯れ枝を集めて、乾いた枯れ木を切り倒して焚き木を空の荷車に積んだ。その後に多少の広場でも良いので、迎撃できる場所を求めて動いた。

ここ数日は雨も降っていなかったが、まだまだ雪解けが終わってすぐでもあり、付近に落ちている枝の多くは湿っていた。

山中の道は、すぐに暗くなって行く。あまり大きな場所ではなかったが、野営地も日暮れの後すぐに見つかった。

「この広場、盗賊がわざと作った広場ではないか?一度姿を見せて、その上でここに追い込む算段なのではないか?」古強者がそう独り言ちていたが、私にもそう思えた。

集落から程遠いのに、盗賊が出没するのに、ここらの焚き木はあらかた拾われていたからだ。

母と姉、私は、焚火を使ってあらかじめ夜食を作って、朝にも兵隊達に振る舞える様に準備していた。

不寝番の兵隊は姉と私から雉の肉が入った雑炊を貰って、大喜びでそれを掻き込んでいた。「安心せい。儂等はお前達を護ってみせるわ。」と椀を受け取りながら、私の頭を乱暴に撫でてくれた。「命にかえてもな。」と続けられると、私は思わず涙ぐんだ。

「怖がらせて悪かったな。じゃが、本当にそうなのじゃ。安心してくれ。」と言って彼は微笑んだ。不器用だが良い笑顔だった。

出雲の男たちは、体格も大きく、強く、優しい。多少粗野であっても、下品ではないのが、私には好ましく思えた。豊かな国に生まれて、その国と隣人を護る事に疑問を感じない。そんな価値観を疑わない人が揃っていた。この時代の出雲はそれ程の繁栄の下にあったのだ。繁栄している土地の民は、特段に剽悍ではなくても勇猛で力強い。

尚武と言う後の伝統を持たない古代であっても、きちんと武人は居たのだ。

そして、何よりこの時代の男達は女子供にとても優しい事を恥じる気風を持たなかった。

兄の射落とした雉や山鳩の入った雑炊、それは今晩にも命を失うかも知れない護衛達への精一杯の私達からの誠意でもあった。姉と母は流石なもので、薬効以外にも、鳥の肉を美味しくする野草、強壮効果のある野草を鍋に入れて、昆布の出汁と共に雑穀と煮ていた。

私は、そんな姉の凄腕を真似る決意を固めた。この旅が終わってからは、私は姉の弟子となって野山を駆け巡る事になる。

 

枯れ木を再び野営地に積み上げた後は、荷車は盾となって、今度は横に立てかけられた。車輪は野営地の内側に向けられており、荷物を載せる板が外側を向く。そして、そこには多少の乾きの悪い枝が残されている。

まだまだ肌寒いこの頃、盗賊は夜半に仕掛けて来た。素人故の我慢の欠如で到底、セオリーのとおりに深夜3時とかには仕掛けて来れなかったのだ。

時刻はおそらく、夜の11時頃。この時期の山中の夕暮れからおおよそ6時間と言う頃だった。

板とござを背中に敷いたままで、桂甲を着込んだまま休息していた護衛達はすぐさまに立ち上がった。警告を発したのは、不寝番の更に外側で待ち受けていた兄だった。

道の左右から、それぞれ10人程がやって来た。

「何者か!」と言う誰何の声に対して、盗賊達は「荷物を改めさせろ。取る物に不足が無ければそのまま退く」と呼び掛けた。

奇襲などこの時点で成立しない。ただ、隊商は既に逃げられる状態にはない。

戦って勝つか、敗れて思うままになるか、その二択しかない。

「後、女達は寄越せ。所詮下人であろう。」との声が掛かる。

稲目様は、私のそばに寄って、頭を撫でると、護衛達に命じた。

「こ奴等を潰せ!蘇我稲目の面目を失わせようとする輩に容赦するな!」と怒鳴った。

 

夜の中でも、兄の弓は百発百中だった。右腕に矢を受けた盗賊は、弓を取り落として転げまわる。

そこにそや達が弓を射掛ける。暗い道への射撃は狙撃の命中が期待できないが、宿営地の入り口付近の篝火が健在ならば、その光の中に踊り込んで来た接近戦部隊は話が別だ。それらは次々と射止められる。

暗い闇の中に潜む兄と篝火に照らされた的を狙う数名の弓兵達は、次々と盗賊を仕留める。兄は射手の腕だけを狙っていた。

そやは、不敵にも単独で槍を持って暗がりの中に踊り込んで行く。そして、出会った敵を無造作に刺し殺して行く。味方と間違える心配はない。

同士討ちを畏れる古強者から怒鳴り声で制止されるが、それは聞こえない様だ。便利な耳である。

私も興奮して、近くの大きな石を幾つか掴んで、そやの方に向かって走る。

それが更に怒鳴り声を誘発したが、それは無視した。篝火の灯りの中から、暗がりの中の盗賊に向かって、私は疾走しながら正確に石礫を投げつけて命中させる。

一人の盗賊は、前歯を石で潰されてしゃがみこんだところを、そやに槍で突き殺された。その盗賊は、そやにまずは顔面、次に頸動脈を続けて槍で突かれて、大声をあげて苦しみながら死んで行った。もう一人は鉾を礫の衝撃で取り落とし、やはりそやに突き殺された。

それでそやに向かう盗賊達は怯んだ。弓を持った者達はほとんどが早々に狙われて倒れ、残りは怯えて後ろに下がった。

武器を持った者達は皆が桂甲を着込んでいない。しばらく盗賊達は進退について大声で揉めた上に、そやに更に仲間を殺されて、戦意を喪失して逃げ去った。

皆はそれで雄叫びをあげて勝利を宣言した。

 

流れ矢と狙撃で荷役夫が2人程死んでいたが、それ以外は損害はなかった。

荷役夫も、言われたとおりに荷車の陰でじっとしていれば助かったのだが、荷車の板を貫通した矢でパニックに陥り、闇雲に広場に逃げ出したところを射殺されていた。

また、私の知らないところで、知らない事も起きていた。

稲目様を狙った矢を、近くに控えていた父が、無造作に槍で何本か払い除けていたらしい。稲目様は、驚いて父の仕業を褒め称えながらも納得がいかない様子だ。

当然だろう。篝火と焚火のほの暗い光の中で、暗い方から飛んで来る早い小さな物を見分けて叩くなど、普通は無理難題なのだから。

日頃から無口な父は、「私は日頃から、薄暗い鍛冶場に籠っております故。普通の者よりも夜目は利くのです。」とだけ答えていた。全然返事になってなかったとは思うが・・・・。

 

後に残ったのは、盗賊の死体が6つ、生きているが動けない盗賊が1人、捨てられた弓が7張、雑な作りだが殺傷力はあるだろう大きな鉾が2振。

死体は路肩に投げ出され、お決まりの尋問と言うか拷問の後、出身地その他を聞き出されてから、盗賊は首から喉を切り裂かれて死体の仲間入りをする。

荷役夫の亡骸は、慰霊と鎮魂の祝詞を唱えた後、茣蓙を掛けて空の荷車に積んだ。次の集落の者に頼んで埋葬して貰うのだそうだ。

しかし、後から考えてみると、仏教を日本に導き入れた稲目様が、戦死者に対して神道風の祝詞を唱えていた訳で。当のご本人からして、仏教の何たるかを当時はご存知無かったのだと思う。(晩年でもご存じだったかどうか。何しろ、百済経由で入って来た異国の神々の宗教なのだから。彼はその教義の概要すら知らなかっただろう。)

護衛の内、きちんと桂甲を着ていたにも関わらず、弓矢で射られて負傷している者が居た。立ち上がって弓を射ていた兵隊であったが、姉は正座して、兵隊の頭を自分の膝の上に据えてから、その矢傷を小さな刃物で切り開いて矢を抜いた。

取り出した血だらけの矢を長い舌で舐めてから「鏃に毒が塗ってあります。」と小さく告げて、「動かないで。」と膝の上に頭を置いた兵隊に命じた。

姉の神秘的な力で傷の痛みは抑えられている。その上に、香しい匂いのする姉の手が額に当てられて、柔らかい太腿と膝で頭を支えられて、ぞくぞくするほど美しい顔が間近にある。彼女の命令に逆らえる男がこの世界の何処かに居るのだろうか?

姉は傍らの愛用の背負子から、治療のための道具を取り出した。父の作った小さな鈎針を使い、傷口を絹の糸で縫い付けた後に、更に練った薬を張り込んで麻の布で覆った。

その間も、姉はずっと神秘の力を使い続けていた。血液の中の毒素は逆流して、麻布の表面を黒く汚した。もう十分だと見て取った姉は、布を交換した。次に兵隊を座らせ、吊り布をしてから兵隊を立ち上がらせた。

汚れた麻布は、焚火にくべて燃やした。

兵隊は立ち上がるやいなや、驚きの声をあげた。「おい、もう腕が動くぞ!」と言った途端に、姉と古強者から、異口同音に「まだ動かすな。」「まだ動かしてはなりませぬ。」とたしなめられて、赤面して謝った。

 

そんな光景を眺めている間に、古強者から怒鳴り上げられていたそやが、ようやく解放されて私の近くにやって来た。

「さえは元気じゃの。あんな風に石を投げて盗人を倒すとは、本当に驚いた子じゃ。」そう言って、彼は私を抱き上げた。

「だって、何もしないでじっとしてるなんて。無理。」とだけ言うと。

「童女の癖に、血の気が多過ぎるぞ。お前、大人の女になったらどうなるのじゃ?」と本気で心配する顔をされてしまった。

「血の気が多くて悪かったわね。」と横を向いてプンプン怒っていると、稲目様がやって来て「さえのおかげで、そやは大助かりじゃったな。けど、もう危ない事はするな。わかったな?」と言って頭を撫でてくれた。

「はい、稲目様の言い付けでしたら。」と素直に応じると、そやが大笑いしながら「姉上の真似をして、薬師をめざしたらどうじゃ?ちっとはしとやかになるだろうよ。」と言ったが・・・・。

「無理よ。私じゃ手足の長さが足りないわ・・・・・。背丈も・・・・。」と私が呟くと、「なるほど・・・・道理じゃな・・・・。」と応じて来た。そこは、無理してでもフォローすべきじゃないのかと思うが、当時の男のデリカシーなんかこれでも上等な方だ。

そこに、話にも加わらずに悄然と立ちすくんでいた兄が見えた。手には、大事な時に力み過ぎて壊してしまった弓があり、それを残念そうにじっと見つめている。無念の顔で眺めている。

この時、兄は父の仕事を手伝うつもりになったのだ。自分で武器を作ると決意したのだ。

そんな私達を尻目に、母は鍋に湯を沸かして、干した穀物と雑穀を出汁に振り入れ、薬草を混ぜて起きて来た兵隊に振る舞った。私達もご相伴に預かった。

 食べ終わった後に、私は兄と共に、荷車の陰で茣蓙に包まって一寝入りしたのだ。

 

妹狐の物語10

初夏の旅は途中までは何と言う事も無く過ぎた。

船は中海を超えて、砂浜の続く因幡の国をすいすいと通過して行く。

途中、現在の鳥取県の倉吉町に寄って、船を点検する。足りなくなった真水は青谷と言う場所の船着き場近くの岩場で補充した。

その後は現在の豊岡市まで一昼夜で到着した。この頃から、近くの城崎には温泉が湧出しており、日本中の津々浦々に存在する大己貴を祀る神社もそこにあった。

現在の様な温泉宿こそ無かったが、一行はそこに立ち寄って数日逗留した。

兄などは、一日の半分を風呂に入って裸で過ごしていたものだ。

私も姉も父母も、ゆっくり温泉に入り、今後の旅について思いを巡らせていた。

 

ここから先は、現在の京都府宮津市を通過した後は、嫌でも陸路になる。

この先は、現在の舞鶴港や敦賀まで行く道で、終点は近江(滋賀県大津市)の街道があるばかり。(後の鯖街道)

現在の京丹後市峰山町からは、整備された街道を通って、海沿いから山を抜けて、横山(現在の福知山市)に出るか、和田山から播磨に出るかの二択になる。

この当時、神戸港は単なる中継港であり、数百年後に福原に都が造営されるとかは想像も付かない辺鄙な場所だった。

姫路の周辺も、それ程の人口は擁していない。岡山、広島は、船で行く所で、陸地を通るなら、津山経由の街道しかなかったのだ。

私達は先にも言ったとおり、和田山を通って、播磨に至る道を進んだ。

理由は一つ、まだしも安全だったからだ。稲目様は、任那に領置を有していたせいで外国人とは昵懇の仲だった。それ故に、当時の渡来人が仕出かしていた様々な悪行も知悉していた。

現在の福知山市周辺では、渡来した外国人が徒党を組んで山賊行為を行って居る事も稲目様は知っていた。関わり合うのは真っ平だったのだろう。

但馬は、新羅に移り住んだ遠い昔の王家の出身地でもある。それ故に、向こうから来る者も多く住み着いている。

出雲や伯耆、因幡では、渡来人は鼻つまみ者で山間部以外に住処はなかった。だから、人口の少なかった当時の但馬や丹波ではそこそこの数が存在していた。ただし、現地の豪族から快く思われていた訳も無く、当時は少数だった後世の小作人にもなれない。地元民に見事に警戒されていたからだ。田畑も用水も、今年来て来年にできる訳ではない。できたとしても、それまで食い繋げられない。

そんなこんなで、食い詰めた末に、日本人のふりをして山賊を行うのだ。これがお定まりのコースと言うのだから困ったものだ。そして、討伐されて、一族滅せられて消える。

 

そんな危険地帯を避けて、私達は陸路を進む。途中に寄った天橋立と言う場所は、今も絶景だが、当時は格別の絶景だった。

後に厳島神社を見た時と同様の感動に、私達家族はうっとりとしたものだ。

そして、そこを過ぎた後は、私達の行列はどんどん南下して山に入って行く。

これからの数週間は、昼なお暗い山間部を進んで行く事になるのだ。

うねうねと、山の周囲を縫って隊商は進んで行く。今では、播但ハイウェイと呼ばれる、山をトンネルで結んだ路線が通ってはいるが、昔は氷上の集落に抜けるだけでも大変だったのだ。

気の利く兄は、隊商に驚いて飛び上がる鳥を、自慢の弓で射落として行く。それらの獲物は、最後尾の荷車の後ろに括り付けられて、夜になれば羽根をむしられて食料にされてしまう。

兄の射撃はとにかく早い。これには、護衛の兵隊達も驚くしかない。実戦だと、敵がこの様な射撃を集団で行ったとすると、味方は簡単に手傷を負わされてしまい、大きな武器を持っている優位が失われてしまうのだ。

何しろ、この弓矢は10間程の距離ならば狙撃が簡単にできる弓であり、狙われたらほぼ避けられない武器なのだ。死ななくても、怪我をすれば何時間も戦う事はできなくなる。そして、今日を生き延びても、負った怪我は明日に治る訳ではない。

 護身用の22口径拳銃、兄の弓はそんな地位の武器であった。

それぞれの護衛は、兄の並々ならぬ手並みに舌を巻いていた。

 

「はつせ、汝の弓は大変な代物じゃな。」兄と仲の良い、蘇我氏の郎党が声を掛ける。

彼は”そや”と言う名前で、古兵隊(ふるつわもの)の父に鍛えられて、自らも兵隊として幼い頃から訓練されていた、当時では珍しい専業兵士だった。

ただ、年の頃はまだ14歳と言う事で、まだまだこれからと言う若い兵隊だった。

そやと言うのは、戦闘用の矢と言う意味だ。彼はもっぱら鉾を扱う歩兵で、弓矢はそれ程は使わない。最近では、父の考案した槍をどう使うかを工夫しているらしく、仲間の兵隊と共に、いろいろと隊列を組んで訓練をしていたりするそうだ。

護衛の兵隊は、この規模の荷駄隊としては少な目で、列の前に4人、後ろに4人、稲目様の周辺に6名程が控えている。

盗賊の話は、この付近ではあまり耳にしないが、それでも付近の集落で何度も補給を繰り返している。もし、盗賊がいるならば、既に彼等は荷駄隊の事を知っている事だろう。危険なのはこれからなのだ。

 

兆候は、和田山を過ぎて、朝来の集落に向かう低地の街道(山を掘りぬいてトンネルを作る技術は20世紀まで存在しない)で見受けられた。

何人かの山仕事をしている者には見えない男達が、入れ替わって現れる。そしてすぐに姿を消す。

ここらは盗賊がいた場合は格好の襲撃場所になる。

そして、しばらくすると狼煙らしき煙が上がる。湿った木を何かの筒の中で燻して作ったのだろう濃い煙が見えた。

一番近い大きな氷上の集落まで後2日は到達できない。その他の小さな集落はどうだろうか?そここそ盗賊の巣である可能性もあるのだ。

貧しければ、飢えていれば、それくらいの事は普通にやるのがこの当時の習わしだった。生きる事と食べる事の為には何をやっても良いと言う事だ。

 

中段の護衛が数名、前列と後列に組み込まれる。相手の人数次第だが、襲撃された場合はともかく防ぐしかないのだ。

そして、相手も、こちらも、ほぼ同時にお互いを発見した。盗賊たちは、間道を走り出て来た。その道がどこに繋がっているのかはわからないが、

双方とも、会敵するという事は十分承知していた。後尾の護衛は、挟み撃ちを警戒して、前列には加わらなかった。

あらかじめ空にされていた荷車が垂直に立てかけられて、臨時の大きな盾となる。相手は弓が4人と鉾と剣を持った者が4人だ。

前列の護衛にはそやも入っていた。彼と後二人が弓に持ち帰る様に護衛隊の長が命じた。

妹狐の物語9

私達は須佐を出発する。

母はその直前まで、貰った絹の反物を切って、それに細かく刺繍を行っていた。

母の作った被り物と肩掛けは、花柄で美しく刺繍されていた。

それを受け取った村長の妻は、村の娘の花嫁衣裳として使うと言って涙ぐんでいた。

薬師の家族は、姉との別れを惜しんだ。

美しく、しかも熱心に治療を行ってくれた姉は、薬師一家の宝みたいに思われていたのだから。

姉は、毒素の悪影響を受けない体質を利用して、自らを実験台にして、膨大な野草と薬草についての知識を既に得ていたのだが、その秘伝の一部を竹簡にして残して行った。

それらは、10代前半の小娘が得ている筈もない知識だったのだが、薬師達がそれを得心するのはずっと後の事だろう。

ここに来るまでにお世話になった秦氏の館には、貴人こそ不在だったが、家令の長は残っていた。

彼に父は大変な数の武器と生活用の刃物を残して行った。

立派な鉾を数振り、直剣を一振り、青銅の代物も含めた家庭用の刃物、鉄枠の桶。

剪定に使う鉈、草刈りと稲切り用の鎌を数本。

鉾は、直で桑畑の衛士に手渡されたし、残りの製品は、家令に木箱に入れられて渡された。

家令の恐縮ぶりは大変なもので、しばらく待たされた私達は、家令から直々に封印をされた巻物の筒を手渡された。大和に行くのなら、秦の館に出向いてこれを見せて欲しいとも言われた。後に分かったが、これは家令による感状であり、大和で私達は褒美をもらう事となった。

 

旅立ちの日、近所の子供達、兄が仲良くしていた兵隊や狩人達、姉と仲の良かった村娘達、母が懇意にしていた女房達、皆が別れを惜しんだ。

私達は稲目様と共に、出雲本土から因幡を抜けて、丹波の端から播磨を目指す。

この頃は、既に雪も充分に溶けており、海沿いの街道(現在の国道9号線)を行くのに不便はない。

しかし、今回の旅では丹波の端(現在の京丹後市久美浜町)までは船を使う。その後は、山中(現在の兵庫県氷上郡和田山町)を抜けて、播磨(現在の兵庫県加古川市)に出て、そこからはまた船を使い、浪速(現在の大阪市)に出て、そこから樟葉(現在の大阪と奈良の県境)を通り、大和(現在の奈良県)に至るのだそうだ。

途中には、絶景と言われる場所もあると聞いている。私の胸は期待に高まった。

 

船旅は快適だった。まずは出雲に寄って交易品を降ろす。出雲は良く開発された都で、この頃は随分栄えていた。

見渡す限りの広い原に、一面に田畑が広がっていて、そこかしこに身なりの良い人達が歩き回っている。市場も良く整備されていて、豊かな土地柄が伺えた。

治水がしっかりしている土地で、人口も多い。

市場の品を見るに陶器や土器の製造、染め物も盛んな様で、性分として、どうしても奢侈になれない私達家族の質素な身なりは完全に浮いていた。

巡邏している兵隊の数も大変なもので、そこここに兵隊の詰所や屯所があり、塀を巡らせている場所や倉の数もやたらに多い。

ここに比べれば、須佐はやはり田舎町でしかない。

と言うか、その後に訪れた大和や山城の国では、ここまで豪勢な都市や着飾った民達は見なかった訳で、出雲はこの時期に別格の豊かさを謳歌していたと言う事なのだろう。

出雲で積み込んだ品物は、装飾品と陶器、後は服と反物だったが、降ろした品は見ていない。多分、須佐で作った武器の類だったのだとは思うけど。

あそこでは、父以外にもそこそこの数の鍛冶屋がいたのだ。けど、父はそれらの人達と全く交流を持とうとしなかった。一人だけで鍛冶屋を行い、取り憑かれた様に金床の上で金物を作り続ける。彼は疲れを知らぬ不死身の鍛冶屋であり、その技を盗み見ようとした同業者が、私や兄に見咎められた事は何度ではなく何十度もあった。

実際、私達家族は、父が仕事に没頭する際の警備役でもあったのだ。

神狐の超感覚を欺ける人間など、この世には居ない。後世の忍者ですらも全く問題にならなかったのだ。そこらの普通の人間など話にもならない。

最初から父にはそう言う流れが見えていたのだろう。孤高を貫き、頑固で無口な鍛冶屋を演じきった。ひたすらに仕事を行った。

今頃、須佐の鍛冶屋達は祝杯の酒を口一杯に頬張っている事だろう。

 

この時は、まだ西暦の6世紀の半ばだった。

300年程前までの寒冷化した世界から、随分温暖になり、人は随分増えたのだそうだ。

父と母が生まれたのは、それぞれ紀元前2世紀と西暦1世紀だったそうだ。

その頃から、神狐は数が少なくて、滅多に同族に会わなかったと聞いた。

そして、今回の旅の大和にも少数が、近くの山城の国には結構な数の神狐が居ると聞いた。山城の国の神狐の一人は、この国の狐の中でも一番古い狐なのだとも聞いた。

父と母は、九州の前には実は畿内に居たのではないか。私はそう思っていた。

けれど、私達の家族。本当に仲の良い家族ではあったが、一つの不文律があった。

相手が自分から話さない事は、他人に対して聞かないと言う事だ。

これは、家族の間でも同じ事だった。そのせいで、多くの事を私は家族に聞かず仕舞だったと思う。その他の人に対してもだ。

もっともっと、腹を割って話しておくべき事があったかも知れない。

けれど・・・・けれど。

自分の身の上を話せるのか、他の人に。

自分は話せないのに、他人にはいろいろと聞いて良いのか?

そうも思うのだ。

そんな事を考えている内に、こちらに歩いて来る蘇我稲目が目に映る。もう、彼はこの時代の初老の男だ。

力強く、剛毅な性格で、人に対しても傲慢には振る舞わない。しかし、その男が、これから仕出かす凄まじい仕業の一端を私達は見る事になる。

そして、その仕業が終わらぬ内に、私達は彼の傍から去っていくのだ。

頭を振って、自分の想いを心から追い出す。

 

そうだ、私達は同じ場所に居着けない。この慕わしい男の人を捨てて、私は次の居場所に行かねばならないのだ。

だから、だから・・・・。

そうであっても、後に思った事は、やはりもっと彼と、その他の人達と、もっともっと話をしておくべきだったと言う事だ。

幼い外見の童女が考え巡らしている想像もつかない想いを、当の稲目様は知る由もない。当たり前だろうけど。

人界に、神狐の数は少ない。本当に少ない。そして、心を割って話せる人間は皆無だ。

なるほど、良くわかる。あの優しい姉が、まだまだ子供の外見でありながら、大人顔負けの憂いを纏っている理由が。

私は、この頃から、自分達の家族が本当に孤独な存在なのだと言う事を思い知り始める事になるのだ。

妹狐の物語8

その頃の私の外見は、大体6歳から7歳位の外見だった。

手足は細く長く、大体1000年以上先の外見であったと思う。

この頃の私は、自分で言うのも何だが、可愛い盛りで、既に12歳、当時の結婚可能な年齢に達している姉とはまた違う意味で人目を引いた。

ともかく、可愛がられたのだ。いろんな人達から。

今回やって来た、髭もじゃの大男、蘇我氏の貴人の目に留まった私は、父と共に彼の館に招かれて、家族ともども歓待された。

単に彼が道を通った際に花束を渡したからではなく、評判の鍛冶屋の娘だったのを貴人は最初から知っていたのだろう。

 

蜜の飴や、後の世に水菓子と呼ばれる果実の類、麦芽糖を使った雑穀や干し納豆の菓子を貰い、甘酒が注がれる。

 

後日には、食事にも誘われた。新鮮な鱠に酢や塩に昆布で味を付けた物。後には失われた発酵食品に乳製品まで振る舞われる。

6世紀も半ばのこの頃には、既に日本には蒸し器が一般化しており、餅作りが普及していた。

当時の糯米は、現在の赤米や黒米も含んでいる。紅白や白黒の餅があり、それらは発芽した大麦と共に温められ、更に煮込まれて麦芽糖になる。

私も何度も麦芽糖を作る手伝いをしたものだ。今回の復員兵達にも、その甘露が振る舞われる。大豆の粉と混ぜられて、美味な携帯食糧が作られる。

力自慢の出雲男と、やはり逞しい復員兵達が力を合わせて餅をつきあげて行く。

船から運び出された単なる糧秣、単なる食糧が、粗末な穀物が想像もつかない程の美味に短時間で変化して行き、歓声をあげる兵隊達に手渡され、その場で振る舞われて行く。

私達もそのおこぼれに存分に預かったものだ。

最後に昆布出汁と塩、様々な海藻や切った魚で羹が作られ、膳に添えられた餅や七草が入れられる。私は満喫した。小さな胃袋なのが残念だった程だ。

 

そんな食欲中心の私をよそに、姉と母は貴人の身内の賢い女たちと談笑し、父と兄は貴人相手に自作の先進的な武具や武器の話で盛り上がっている。

日本人は、今も昔も子供に甘い。話の中で興奮してしまった兄は、食事中に館の庭を遠慮なしに横切って塀を飛び越え、家まで疾走して自分の弓を取りに戻ってしまった。

そんな無作法を、豪快に貴人は笑い飛ばし、元気の良い子だと褒めたりもした。

やがて、土埃に汚れた兄が館の門番にやはり笑って通して貰い、弓と矢、標的にする木の板まで背負って帰って来た。

貴人に弓矢を手渡して、試しに使ってみろと嗾ける。

その弓は、例の引けない弓であり、力の強い貴人ですら引く事は適わない。

兄は得意満面で弓を受け取って、押してすぐに放った。

貴人もそれを見て、弓を押して矢を放つ。的まで十間ばかりの距離だが、当時の弓矢は射程が二十間そこそこ、それですら命中率は大した事がない。

ところが、この弓はともかく十間ならばほぼ必ず当たる弓である。飛ばすだけなら三十間は楽なもの。しかし、矢は長さも重さも足らず、鳥打ちには良くても、武器としてはどんなものなのか。

貴人は考え込んで、不可思議な造りの弓を手で弄んでいる。

兄と父は、同じような弓ならまた作りますのでと言って、貴人に弓と矢を渡した。

貴人は感謝して受け取り、私達一家に褒美を与える様に下人に申し付けた。

父は思う所があったらしい。壊れやすく、乱戦で邪魔になりやすい鉾ではなく、槍の原型の様な武器の利点を説明した。

これならば、まとまった数の徒歩兵が間隔を開けずに戦える。鍬の様に使う鉾ではなく、矢の如く刺す槍は剣を持った兵隊にも有利に戦えると。

本音では、父は単にソケット付の武器をいろいろと作ってみたかっただけかも知れないのだが。それがたまたま使い勝手の良い武器になったと言うのが本当なのだろう。

 

話は更に盛り上がり、興が乗って、貴人を引き込んでしまった。当時の日本人は異様に興奮しやすい人達が多い。後世の落ち着いた日本人観は、古代には当て嵌まらない。

実際に、館の下人と衛士に並んで貰い、棒を手にして鉾と槍の戦いを演じて貰ったりもした。やり過ぎなのだろうが、素面でここまで興奮できるのが当時の日本人だ。

 

そして、模擬戦は本当に実戦的なものとなった。

狭い所では、並んだ槍が圧勝したのには、皆が驚いたものだ。野戦以外では、槍が強いと知れた。建物の中では、剣よりも強いとわかった。高さが違う場所でもだ。

戯れから始まった模擬戦闘の結果は、頭の良い貴人に強い印象を与えた。

「もっと沢山の事を教えて欲しいのじゃ。我は汝らの話をもっと聞きたい。」彼はそう言った。「汝の顔ももっと見たいでな。」そう言って頭を撫でてくれる、大きな顔と大きな身体の優しい武人。

齢100歳になろうとする神狐の私が、この人間の男には本物の好意を抱いた。

私は何故神狐に人を殺すなと言う禁忌があるのか。その理由の一端を知った。

これから4世紀も後に、私はこの貴人の面影のある武士を見る事になる。

その人には、家族全員が心酔し、彼の力になって行くのだが。だが、この時点では、私も家族も、やがて来る別れの予感の中で、今日のこの日を喜ぶ事だけを考えていた。

 

「さあ、我は近日の内に大和に向かう。一緒に居れる日は限られておるのでな。」彼はそう言った。

大和の国は、次に私達が向かう予定の土地だった。しかし、それをこの貴人に言う訳にはいかない。

「稲目様は大和にお越しなさるので?」父がそう言うと、貴人は「然り。我は大和に参らねばならぬ。お主も同道するか?」との言葉を頂いた。

父は迷った末に彼の申し出に乗った。

先にも言ったが、私は仏教は嫌いだ。今も嫌いだ。

しかし、この国に仏教を最初に伝道した者を嫌う事はできなかった。数多くの妻を持ち、皇室に絶大な影響力を持つ逞しく優しい蘇我の稲目。

彼は私に教えてくれた。

焚き木の燃えさしの様に簡単に死んでしまう人間達。その人間達がいかに眩しく、激しく生きて行くのかをありありと教えてくれたのは彼だった。

この様な人間と言う私達の人生を導いてくれる灯火を、おさおさ粗略に扱ってはならぬ。命を奪うのは簡単であっても、それをすればとても大事な道標を自分で壊す事になりかねないのだと言う事を知ったのだ。

 

彼の行いには、許せぬ所は確かにあった。しかし、千年を遥かに超えた今も、彼に対する好意は、私の中では変わらないのだ。

そんな彼とも、別れはすぐそこに迫っていたのだけれど。